放課後の準備室、先生と。




家に入ると、揚げ物の匂いがまず私を出迎えた。

次に、両親。

「おかえりー、あら、随分おしゃれして」

お母さんは私を見るなりニヤリと笑った。家を出るときは二人が起きるより早く出たから、見られることがなかったのだ。

「デート?」

「ち、違うよ」

「じゃあ、その帽子もくまも……きっちり説明、できるのね?」

帽子もくまも、先生からもらったものだけど、まあうまい言い訳は考えてある。

「これは、プレゼント。ほら、もうすぐ誕生日近いし……」

「そんな高価な帽子を? しかも誕生日なんてまだ先なのに? 一体誰からかしらねえ」

お母さんは責めているというよりは、むしろ楽しんでいるようだった。

その後ろでお父さんは、英語で書かれている雑誌に目を通している__フリをしている。biologyと書かれているので、仕事のやつだろう。お父さんは大学教授だ。

「も、もういい、着替えてくる」

私は逃げるように階段を駆け上がり、部屋に入った。

くまのぬいぐるみを棚の上にかざって__ふと、その隣に飾っている鏡をみた。

「……?」

首元になにか、赤い跡が残っている。暗くてよく見えないので、帽子を取って、鏡に近づく。

__それは白い雪の中で美しく咲く、一輪のバラだった。

「……っ⁉︎」

反射的に隠したが、一度上がった心拍数はなかなか下がらない。心臓は脈打ち、体内で暴れている。

待って、こんなの、いつ……!

慌ててスマホを取り出すと、先生に電話をかける。

殆どノーコールで、彼は電話に出た。

「もしもし?」

「もしもし、じゃないですよ先生!」

私の慌てっぷりから先生は言わんとすることを理解したらしい。

「ああ……気づいたの? 首のやつ」

「気づいたの? じゃないですよ! いつつけたんですか⁉︎」

「レイが寝てたとき」

ふっと笑みをこぼした先生は、さっきのお母さんのように楽しそうだ。多分お母さんと先生は気が合うと思う。

「なんで、こんなの……!」

「レイが逃げないように。あと……男除け?」

「ここじゃ見えちゃいますよ……っ」

「じゃあ上手く隠すか__あるいは、そのままにしててもいいんだけどね」

「それは絶対に無理です……!」

見えてないのにぶんぶんと首を振ってしまう。 先生は心の底から楽しそうに笑って、電話を切ってしまった。

「……どうしよう」

制服を着れば、ギリギリ隠れるか隠れないかの位置。多分全部は見えないように配慮してくれたのだろうが、あまりにもくっきりと残りすぎていて、見られたらすぐにわかってしまう。

結局、絆創膏を貼るくらいしか思いつかなくて、四角いタイプの絆創膏を貼る。

側から見ればわからないけれど__その背徳感でドキドキしてしまうのは、否定しようがない。

だって、ここに跡があるということは、先生がここに触れたということだ。

意識したことで急に熱を持ち出したそこを軽くさすって、忘れる。

私は存外単純で__それはきっと、先生のように男の人に迫られたことがないからかもしれない。

髪を解く。緊張が一気に抜け落ちたように思える。

待ち合わせから帰ってくるまで、先生の隣は近いけど、少し遠く感じていたから。

ルームウェアに着替えて、リビングに向かうと、テーブルの上にはすでに今夜の晩御飯らしい唐揚げが並んでいた。

「あっ、ちょっと隆文さん、先食べないでよ」

しれっとつまみ食いをしていたお父さんを、お母さんは嗜める。しかしお父さんは素知らぬふりで、やはり雑誌に目を落としたままだ。

そんなお父さんの雑誌を奪い取ると、私はテーブルの隅__お父さんの手の届かないところに寄せた。

お父さんが眉を寄せて呻く。

「こら、まだ途中だ」

「今からご飯なんだから、片づけただけ」

「まあまあ、食べ終わったら読んでていいから。ほら、いただきます」

お父さんはまだ不満そうだったけれど、ご飯を食べ始めると大人しくなった。

お父さんとお母さんは結婚して十九年、未だに仲がいいし、月に一回はデートに行っている。

そして何より__と思う。二人の出会いは今の私と同じような状況だ。ただしお母さんが迫った方なのだけれど。

「……レイ、勉強は捗ってるのか?」

「うん。今回のテストも一位だったから、そろそろ本が欲しいんだけど」

お父さんは忙しいから、あんまり帰ってこない。こういう日ほど、お金をもらうチャンスだ。

思いのほかあっさりとお父さんは頷いて、あとであげようといってくれた。

「ありがとう」

「そのかわり、勉強はしっかりしろ。それがお前のためだ」

少し厳しいけれど、結局優しいお父さんとお母さん。

この先もし先生を好きになって、付き合ったとして、もし、先生を恋人だと紹介したらどうなるのか__

その考えはあまりにも恐ろしいように思えて、心の奥底に二度と掘り返せないように深く埋めて、忘れた。



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