龍喜庵へようこそ
 レンタルキッチン「ドラゴン」に妙な客が来るとの噂があった。
 ネットに書き込まれたソレはあまりに荒唐無稽であり、そのうち誰も相手にしなくなる類の噂であったが、妙な真実味があるのが不思議であった。
 戦国武将が、レンタルキッチンを使っている――
 

 レンタルキッチン「ドラゴン」は新宿にある。
 住宅地に意外と近く、人通りもまばらな場所にそれはあり、一見すればまるで要塞のような造りのビルの一階で、セキュリティーも非常に高い。
 といっても、評判はよい。
 値段はそれなりにするが、なにより清潔で、清掃が行き届いている。
 調理器具も充実しており、包丁や、フライパンの質も高く、事前に頼めば、別料金で珍しい調理器具や鍋も用意してくれる。
 問題、という程ではないのだが、一度レンタルすればキャンセルが聞かないのが信条だ。事前に100パーセントの料金を予約代として支払う以外は、まったく問題のない、満足度の高いサービスである。
 だがここに、頭を抱えている一人の男性がいた。名を榊龍一という。

 榊龍一は占い師である。
 著名人の間で、知る人ぞ知る占い師として、その名を轟かせている。
 彼は自分で思いついた「戦国オラクルカード」を手に、世界中から来る客を占う。
 オラクルカードとは、神託を意味する、タロットカードと似た、占いをするカードのことで、天使などが書かれており、そこからメッセージを読み取る方法で占う。
 それはそれで構わないのだが、彼には今、頭を抱えている問題があった。
 知っていてそうしたからまあ構わないのだが、キッチンスペースの予約がキャンセル出来ないのだ。
 仕事で出会った友人と、男女でサークルを創り、月に一度、キッチンスペースを取って飲みあおう、ということになった。
 やけにウマが合う相手はいるもので、最初は居酒屋、ビストロ、いろんな場所を食べ歩き、いや、飲み歩いていたのだが、榊が料理が出来るため、それでは料理教室も含めキッチンスペースを借りて飲みあおう、ということになった。
 全員結婚もしておらず、それはそれは楽しい時間で、よしこれなら、一年分の予約をしよう、と、取った途端に、榊を除く全員が、急に遠方又は海外に赴任するという、驚きの展開になったのだからこれは実に実に困った。
 向こう一年、どうするのか。
 こんなに清潔なスペースを使わないのも勿体ない。
 それに資金は全員でプールしたもので、キャンセルしてどうなるものでもない。有料で他人に譲渡するのは規約違反である。榊はそういう所は細かい。
 ではどうするか?
 飲むか。
 ひとりで。
 ちなみに。説教くさいと思われそうだが、榊は日本人の、酔うことを前提に居酒屋などに行くことには疑問を感じている。
 楽しむために酒を飲むべきだ。
 といっても、あまり人のことは言えない。自分一人で飲めば、よってそのまま倒れるぐらいに飲むのも、若い頃を思い出すようで楽しい。もちろん健康のため深酒は禁物だが、酔うことを目標にすることに疑問を持っていること、あまり人のことは言えないことも確かだ。
 よし、飲もう。
 この、レンタルキッチンで、自分ひとりで、料理を作って楽しもう。家と違う環境も楽しいだろう。写真を撮って、一人飲み会専用のブログを始めてもいい。
 ちなみにレイアウトは、簡単に説明すれば、キッチンと、向かい側にバーのような形で椅子があり、離れた場所にソファもある。そんな感じである。
 軽く寝ることも出来るというものだ。酔っ払って時間まで寝るには最高だ。
 よし、飲もう。時間はたっぷりある。
 そう榊は決めたそのとき。
 ピンポーン。
 ・・・ぴんぽーん、だと?
 呼び鈴が鳴ったのは分かる。
 だが、ここはセキュリティー万全のビルだ。それはよく分かっている。
 人が来ること自体おかしい。
 警備に電話を掛けるか? それが最善だろう。
「どちら様ですか」
インターホンに出た人物の顔を見て、榊は立ち尽くした。
「織田前右大臣三郎信長と申す。あいや」
 そこには豪勢な着物を来た男性がいた。
 おださきのうだいじんさぶろうのぶなが?
 あいや?
 にやりと笑う。この方が判り易いだろう、と顔が語っている。
「・・・織田信長と申す」
 

 
 さすがの榊も立ち尽くす。
 これまで色々と人生経験を重ねてきたが、これはちょっと驚きだ。
 まず現代の言葉を話す。次にどうも、佇まいが違う。
 本物っぽいのである。いろんな意味で。
 これまで前職の時も、占い師としても、いろんな人間を観察してきたつもりだが、このような空気を持った人間を見たことがないのである。
 シンプルで、威厳があり、ビジネスライクで、独特の、西洋人の持つような色気もある。セクシャリティではなく、人間としての色気なのだ。
 手をかざせば、かちゃり。
 自然と扉が開く。
 俺はCGでも見ているのか?
 コスプレをしたオジサンが入ってきたのなら、即座にしかるべき処置を執らせてもらうところなのだが、どうもそうではない。
「・・・・・・心配ない。危害は加えぬ」両手に何も持っていない。加えてもらったら困るわい。
 榊がなおも口を開けていると、信長を名乗る男は、いや、信長は呵々大笑した。
「余り深く考えなさるなよ、先の世のお方」なんともうまいいい方だな。「どこに座ればよい?」
 なぜかセキュリティを呼ぶ気にもならない。
 いや帰って下さい、と言う気持ちにも、榊にしては珍しく、なぜかならない。
「誰かを呼んでも構わぬが、そうしたら、ここにはもう誰も来ぬ」
 ・・・なんか意味深なことをいう信長である。
 自然に椅子を指さす。「そちらにどうぞ」
 榊は思わずそういった。
 信長は椅子をがたがたと揺らし、自分が座れるのかどうかよく見ている。
 きろっ、と榊を見るので、榊は「失礼します」と言って、自分から椅子に座って見せた。
 口で説明するより、この手の男は実践した方が早い。
「なるほど」そのバランスを見て、信長は榊の隣の椅子に座る。
 ため息をつきながら、榊はキッチン側に廻った。
 意外な、懐きやすそうな笑顔で笑った。
「そなたかね。無断で、私の名前を使っている者は」
 榊の頭の中に何十という言葉が飛び交う。
 今信長の名前がどれだけ詩情に氾濫していることか。
 俺よりも大河ドラマの関係者や、ゲーム会社に行った方がいいんじゃないのか。歴史小説の家とか。何でここに来るのかね。いや、いらっしゃるのかね。
「どうも、私の所に来る意識が違う。その、異人の気が最近よく来るようになった。我が国の人のものではない。30年ほど前から、やたらと私の名前を呼ぶ声がするのはわかっていたが、とみにこの気は異常なのでな」
「はぁ」
 つまりは、戦国オラクルカードで自分の名前が使われると、あちらの世界でも人気が出ると言うことだろう。
 で、気になってこちらに来た、と。
 夢でも見ているようなのだが、どうにも、どうにもである。防犯カメラにはどのように写っているのかわからない。
「私の名前をこのように使う者は初めてじゃ。一度見ておこうかと思ってな」
 まあ、夢に出てこられるより、こっちの方がラクはラクか。
 なにか質問したい気持ちに駆られるが、それ以上に、この人物から出てくるオーラが、榊を思いとどまらせた。
「何かお作りしましょうか」
 ぱん、と柏手を打って信長はにやりと笑った。


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