セツに思う、君のことを。
「今日は雪が降るみたい」
昼下がり。彼女はカフェの壁際の席に腰掛け、ガラス張りの窓から空模様を眺める。
頬杖をつき、上目遣いで空を見上げている彼女の横顔は、均等の取れた綺麗な曲線を描いていた。
彼女の目線が、ふと、彼へ向けられる。
「なに?」
彼は声を出すこともなく、微かに目蓋を伏せて否定する。それが、彼の合図だった。
『なんでもないよ』
彼には声が無い。声を出すことが出来ない。その術を幼少期の頃、失った。彼女の声は聞こえている。
それなのに『はい』も『いいえ』も、彼は言うことが出来ない。
多くの人間は意思疎通の困難な彼を遠ざけた。あるいは嫌っていた。だが、聞こえていた。
彼のことを面倒だと言う、心無い言葉も態度も何もかも全て、伝わっていた。
その度に苦しかった。否定出来ないことにではなく、何もしなかったことに、だ。
ただ、声が無いだけなのに。
好き好んで、こうなってしまった訳ではないのに。
卑屈な思考が、常に彼の心を身体を蝕み、支配した。彼女と過ごす穏やかな時でさえ。
「そろそろ、帰ろっか」
彼女が呟き、視線を合わせて微笑む。その度に、彼の心には幾つもの波紋が拡がる。
黒に落とされる白は交わらずに、斑に模様を描いては滲み、やがて黒に飲み込まれた。
カフェを出て、ゆったりとした歩幅で街中を進む。冷えた風が二人の間を掠めて、通り過ぎて行く。
彼の左手に温かな感触が伝わる。どちらともなく互いの指先を絡めて繋ぎ合わせた。
あと、何度。
君とこうして手を繋ぎ、歩けるのだろう。
一分、一秒と時が過ぎていく度にツラくなる。
永遠は無い。時には限りが有って、常に時間を消費して生きている。
誰もが皆、平等で平等じゃない世界で、僕はあと何度、君の笑顔が見られるのだろう。
今夜はきっと君の言う通り、雪が降るのだろう。