わたし、BL声優になりました
第一章
「──という訳で、男性になろう」
「…………は? すみません、社長。意味がよく分からないのですが」
声優事務所シルバーフェザーの社長室にて。
夏川ゆらぎは棒立ちのまま困惑していた。
社長は今、なんて言ったんだろう。
男性になろうって聞こえたのは、私の聞き間違いかな。うん、きっとそうだ。そうに違いない。
「もう名前も決めてあるんだよ。じゃーん」
田中銀次《たなかぎんじ》社長は、自身で効果音を付けながらB4サイズのスケッチブックを広げる。
ゆらぎは白い紙に、でかでかと書かれている名前に目を通した。
『白石 護』
名前の下には、ご丁寧にフリガナ付きで『しらいし まもる』と書かれている。
男性っぽい名前だなと他人事のように思っていると、社長がまたもや爆弾発言を投下していく。
「君にはBL専門の声優としてデビューして貰おう! うんうん、我ながら良いアイデアだと思うんだ」
「BL……ですか」
「そう。BL」
BLって、多分、あのBLだよね。ベーコンレタスとかじゃなくて。ボーイズラブの方の。
でも、私はBLについては全然詳しくない。
スケッチブックの白石護という名前を見つめながら、ぼんやりとそんなことを考える。
「む──」
「でね。もう、マネージャーもつけておいたから。黒瀬《くろせ》くんのところのマネージャー。赤坂《あかさか》っていうんだけど……」
『無理です』と言う前に、田中社長に言葉を遮られ、言葉が詰まる。
「ま、待ってください。それはもう、決定事項なんですか?」
「そうだよ」
ニコニコ笑顔の田中社長は、ゆらぎに有無を言わせない強さで肯定する。
……ん? ちょっと待って。
黒瀬って、もしかして、あの黒瀬さんですか?
この事務所の所属だったんだ。知らなかった。
「この事務所の稼ぎ頭である黒瀬くんと、新人の白石くんをセットで売り出せば、お金ががっぽり……じゃなくて、君も人気声優の仲間入りになること間違いなしだよ」
語尾に星マークが付いていそうな田中社長の言い分に、ゆらぎは仕方なく生返事をする。
「……はあ」
何だかよく分からないけど、つまりは、事務所の経営を潤滑にする為に、私は稼ぎ頭の黒瀬と一緒に売り出される、ということらしい。
「じゃあ後は、赤坂に全部一任しておくから、よろしくねー」
拒絶する暇もなく田中社長に見送られ、ゆらぎは訳も分からないまま社長室を後にした。
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