わたし、BL声優になりました
「どっか、行きたい場所ある? 連れていくけど」
コーヒーを嗜んでいた黒瀬が、無言のゆらぎに気を使い、問い掛ける。
「えっと……、特にはない……です」
そもそも、ゆらぎはテーマパークなどの人が混雑している場所が苦手だ。
出来ることなら、今すぐにでも帰りたいのが本音。
だが、ウグイス先輩が居なくなったので、私も帰りますという訳にもいかない。
「お土産とかは買わないの?」
「んー……。少し、見たいです」
「うん。じゃあ、店に行こう。あいつは合流したくなったら自分で連絡してくるだろ」
席を立った黒瀬は、緑川の分も含めた三人の会計をさらりと済ませて店を出た。
……む。これは一体どういう状況なのだろう。
自分の隣には普段より口数が少ないけれど、然り気無く歩幅を合わせてくれる黒瀬先輩がいる。
いつもの日常と似ているようで、似て非なる状況に、ゆらぎの感情は何故か揺らいでいた。
事務所の寮で見掛ける黒瀬先輩は、いつも上半身裸で、赤坂マネージャーには少し冷たい扱いを受けていて、コンビニの唐揚げが好物で……。
気がつけば、ゆらぎは顔を上げて無意識に黒瀬を見つめていた。
「ん? 何」
こんなにも至近距離でいるのに、気づかないものなんですね。
黒瀬先輩、少し鈍すぎですよ。
黒瀬が気づいてくれないことに、ゆらぎは一抹の寂しさを覚えた。
そして、男装をしているときとの扱いの違いに距離を感じた。
私は、やっぱりいつもの先輩がいい。
寂しがりで、なのに人付き合いが少し苦手で、実は後輩思いな先輩が。
知らない一面を見せられて、この気持ちが何なのか、分からなくなってしまった。
いっそ、『これはドッキリでした』ってネタばらし出来たら、どんなに良かっただろう。
それが出来ないことくらい、自分自身が一番良く分かっている。
だから、もう少しだけ。
──今だけは。私は『女性』を演じなければならないみたいだ。