わたし、BL声優になりました
「落ち着け」
「……もう、いいです。黒瀬先輩の言葉なんて聞きたくありません」
「だから! 少し落ち着けって!」
黒瀬は言葉を拒絶するゆらぎの両肩を掴み、声を荒げた。
そんな二人の様子を、緑川は珍しく口を挟むこともなく、静観している。
ゆらぎは憤怒を身体に纏い鋭い眼差しで、黒瀬を見上げていた。
辺りに静寂が落ちる。
「……その辺でストップ」
そして、重苦しい空気を切り裂いたのは──緑川だった。
「まぁ、いきなりああだこうだ言われても混乱するよね。一から説明しようか。ね? いいよね、黒瀬」
「……ああ」
苦々しい表情で黒瀬は緑川の言葉に頷いた。
尾行されていることに最初に気付いたのは緑川だった。
『シライ』として変装しているゆらぎと共にタクシーから降りた時、緑川は、ふと違和感を覚えた。
誰かに見られている。いや、見張られている。そんな限定的な視線が二人の姿を追っている。
最初は緑川を狙った週刊誌の記者かと思い、相手を巻こうとした。だが、相手は緑川には目もくれず、ただ真っ直ぐにシライの姿をした、ゆらぎだけを見つめていたのだ。
そして、緑川はその相手に見覚えがあった。
「おそらくだけど、君も知ってる相手だと思う」
「知ってる人……?」
この業界に入ってからは殆どと言っていいほど、知り合いらしい知り合いはいない。
緑川に問いかけられても、ゆらぎには全く心当たりがなかった。
否。──ひとりだけ、いる。
自身の考えを否定するように、沈黙したゆらぎの姿を見て、黒瀬は緑川に目配せをした後、口を開いた。
「養成所」
「え?」
「おまえと同じ養成所で冬馬さゆって女がいただろ。今はアイドル声優の」
「どうして、ここでさゆが出てくるんですか」
嫌な予感がした。次に続く言葉を聞きたくなかった。
けれど、ゆらぎの感情を容赦なく打ち砕いたのは緑川の一言だった。