もう一度〜あなたしか見えない〜
「言っておくけど、僕が前の会社を辞めたのは、君とのことが直接の原因じゃない。実はその前から、ヘッドハンティングを受けていた。会社にも仕事にも未練はあったが、条件が魅力的だったんで、迷った末、君と別れたひと月後に辞表を出した。でも、その転職先が、いわゆるブラック企業で。残業、月100時間越えなんて当たり前。それでも2年は頑張った。しかしさすがに身体が悲鳴を上げて、気が付いたら病院のベッドの上だった。入院と自宅療養で完全に体調が戻るまで、丸1年かかった。その間、僕の身の周りのことを、母が見てくれていた。そしてさぁ、社会復帰しようと動き出そうとした途端、入れ替わるように母の病気が発覚した。」


「・・・。」


「進行性の病気で、もって1年というのが、その時の医者の見立てだった。それでも諦めずに、なんとか治してやりたい、治して見せると頑張ったけど、蓄えはあっという間に、底をついた。進退窮まって、君に迷惑を掛けてしまったが、その金がなければ、僕は母を看取ることも出来なかった。」


辛そうな表情を浮かべる元夫。


「亡くなった母の顔は穏やかだった。そして、その顔を見ているうちに、懸命に治療に奔走したことは、本当に母の為だったんだろうかと思ってしまった。」


「なんで?」


「母を死なせたくない、僕はその一心だった。だけど、それは結局、1人になりたくないという僕のエゴにすぎなかったんじゃないか。その僕のワガママで母を苦しめただけだったんじゃないか。それを僕は卑怯な方法で得た金で続けていた。それに気づいた時、あまりに救いのない現実に、僕は立ちすくんだ。」


「そんなこと、そんなことないよ。あなたがやったことは間違ってないよ。愛する人が病み苦しんでいたら、助けたいと思う。それが当たり前の感情だよ。お願いだから、そんなに自分を悪人にして、責めないで。そんなあなたを見たくない。」


うなだれる元夫を、私はそう言って励ますことしか出来ない。


「現実として、君からの金がなければ、今の僕には母親を父親と同じ墓に葬ってあげることも出来ない。全てが終わったら、お金は働いて必ずお返しする。あと、あのことも・・・。金で償えることじゃないことは分かってる。が、せめてもの事として、合わせてお支払いさせて欲しい。つらい思いをさせて本当に済まなかった。もう少し時間をくれ。」


そう言って、また私に深々と頭を下げる元夫。今日、私は何をしに、何をこの人と話そうとして、ここまで来たのだろう。


「お金は受け取るつもりはないわ。私が渡したお金は、前にも言った通り、あなたへの慰謝料なんだから。それとあのことに関するお金なんて、絶対に受け取れない。私はあのことだけは絶対に許さないから。そのつもりでいて。」


そう元夫に告げると、私は結局、そのまま部屋を後にした。
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