京都祇園 神さま双子のおばんざい処
茶髪で一見優男(やさおとこ)なのに和装が似合う。イケメンだから何を着ても似合うというには随分しっくりしている。普段から和装を着慣れているような雰囲気だった。
「へへ。似合う?」
と、尋ねるのも嫌みがない。
「ええ。どうされたんですか」
「これから仕事」
「仕事?」
「男(おとこ)衆(し)って知ってる? 舞妓さん芸妓さん専門の着付師。それが僕のもうひとつのお仕事」
ぽかんとしている私に拓哉さんが声をかけた。
「咲衣、おまえの技量は悪くないが、今日すぐにこの店の調理場に立たせてやるわけにはいかない」
「――はい」
さっきの出汁、拓哉さんのレベルには遥かに届かなかったものなあ。
悔しいなあ。すっごい悔しい。東京の板長にも合わせる顔がないよ。
「拓哉は言葉が乱暴なんだよ。さっきのいまだから、咲衣さん、自分が未熟だから調理場に立たせてもらえないと思ってるよ。まあ、未熟なのはたしかなんだけどさ」
弥彦さんがごく自然に追撃してくれた。
「……おまえの方がひどいことを言っていると思うが」
「そうかなあ」
拓哉さんが腕を組んだ。
「昨日からずっといろいろあって、気持ち的にまだ調理場に立てないだろ」
「そうそう。そういうふうに言わなきゃ」
そうそう。そういうふうに言ってくれれば私も分かる。
しかし、そのあとはさすが「神さま」だった。
「タダで泊めてもらうのが気が引けるなら、弥彦の荷物持ちくらいすればいい」
……「神さま」っていうのはあれかしら。みんなして、人の心を抉(えぐ)る言葉を駆使することに長けているのかな。
荷物持ちはさせていただきます。
祇園の主役は言うまでもなく芸妓さんであり、舞妓さんだ。その主役たちを支えるために、男衆という人たちが存在する。
男衆は芸妓さんや舞妓さんの着物の着付けが仕事。そのため、芸妓さんや舞妓さんの家に入ることを特別に許されている。男衆は祇園全体で数人しかいない。それだけ信用が大事なのだろう。それに何より、芸妓さんたちとの色恋沙汰は御法度。一見優男の弥彦さんだけど、人間の女性には興味がないと公言している神さまだから、この仕事は適任といえた。
「昔はね、お茶屋さんと屋形の間に入って金銭交渉や揉めごとの仲裁とかもしていたんだけど、いまはほとんど着物の着付けだけになっちゃったね」
「屋形って何ですか?」
「ああ、置屋って言った方が分かりやすいのかな。でも、別のイメージもあるからなあ。芸妓さんや舞妓さんの所属事務所みたいなものだよ」
「なるほど」
屋形が少女を受け入れ、言葉と所作と芸を授けて舞妓に育て、さらに芸妓へと羽ばたかせていく。
「舞妓さんのデビューである見世出しの日に、僕ら男衆の媒酌でお姉さんの芸妓さんと舞妓さんが固めの杯を交わす。それで正式に舞妓さんになるんだ。見習いの頃からずっと見てきた子が舞妓さんになると、何だか胸が熱くなるね」
「――ちょっと意外です。弥彦さんって人間に冷たいのかなと思ってました」
「僕が人間にそれほどやさしくないのは認めるよ。ぶっきらぼうだけど拓哉の方が本当は人間にやさしいと思う。でも、厳しい修行で涙を流してがんばった人が、その報いを正しく受け取って夢を叶える姿を見るのはすごく好きだよ」
舞妓修行は、厳しいらしい。挫折してしまう子もいるそうだ。
「やっぱり何事も一流になるには甘くないんですね」
「それはそうだよ。料理だって同じでしょ?」
四条大橋を越えて先斗町に入る。細い路地を何度か曲がって芸妓さん舞妓さんの家についた。すぐに奥から女将さんがやって来て、笑顔で出迎えてくださる。
女将さんといってもまだ若い。三十歳前後くらいだろう。和服の似合うとてもきれいな女性で、姿勢も立ち居振る舞いのひとつひとつも美しい。女将さん自身が芸妓さんをしてもまったく遜色ないと思う。
「弥彦さん、今日もよろしゅう」
「はい、夢(ゆめ)桜(ざくら)さん。今日から拓哉に料理を教わる子が荷物持ちで一緒なんだけど、いいかな?」
「あら、拓哉さんが人を雇わはったん? 珍しいわぁ。もちろん構いませんえ」
「は、初めまして。鹿池咲衣です。よろしくお願いします」
「はい、初めまして。若(わか)宮(みや)信(のぶ)子(こ)です。あんじょうよろしゅう」
うわぁ、和装美人の京都弁だ……。素敵しかない。
あれ、でも――。
「さっき、弥彦さんが『夢桜さん』って」
信子さんが着物の袖で口元を隠すようにしながら上品に笑った。
「ふふ。私も昔は芸妓をやってましてねぇ。『夢桜』いうんはそのときの名前。その頃、私も弥彦さんに着付けをお願いしてたんです。それでか何でか、女将になったいまでも弥彦さんだけは私を『夢桜』の名前で呼ばはるんですよ」
「だって夢桜さんは夢桜さんだもん。祇園最高の芸妓のひとりさ」
「おおきに。それにしても、咲衣さん言いましたっけ、肌きれいやねぇ。舞妓さんの格好とかさせたら似合いそうやわ。うちとこで舞妓体験してみます?」
「え、いいんですか」
「代金はちゃんと払わないとダメだけどね。ねえ、夢桜さん」
「毎度おおきに」と信子さんがにっこり笑っていた。
「へへ。似合う?」
と、尋ねるのも嫌みがない。
「ええ。どうされたんですか」
「これから仕事」
「仕事?」
「男(おとこ)衆(し)って知ってる? 舞妓さん芸妓さん専門の着付師。それが僕のもうひとつのお仕事」
ぽかんとしている私に拓哉さんが声をかけた。
「咲衣、おまえの技量は悪くないが、今日すぐにこの店の調理場に立たせてやるわけにはいかない」
「――はい」
さっきの出汁、拓哉さんのレベルには遥かに届かなかったものなあ。
悔しいなあ。すっごい悔しい。東京の板長にも合わせる顔がないよ。
「拓哉は言葉が乱暴なんだよ。さっきのいまだから、咲衣さん、自分が未熟だから調理場に立たせてもらえないと思ってるよ。まあ、未熟なのはたしかなんだけどさ」
弥彦さんがごく自然に追撃してくれた。
「……おまえの方がひどいことを言っていると思うが」
「そうかなあ」
拓哉さんが腕を組んだ。
「昨日からずっといろいろあって、気持ち的にまだ調理場に立てないだろ」
「そうそう。そういうふうに言わなきゃ」
そうそう。そういうふうに言ってくれれば私も分かる。
しかし、そのあとはさすが「神さま」だった。
「タダで泊めてもらうのが気が引けるなら、弥彦の荷物持ちくらいすればいい」
……「神さま」っていうのはあれかしら。みんなして、人の心を抉(えぐ)る言葉を駆使することに長けているのかな。
荷物持ちはさせていただきます。
祇園の主役は言うまでもなく芸妓さんであり、舞妓さんだ。その主役たちを支えるために、男衆という人たちが存在する。
男衆は芸妓さんや舞妓さんの着物の着付けが仕事。そのため、芸妓さんや舞妓さんの家に入ることを特別に許されている。男衆は祇園全体で数人しかいない。それだけ信用が大事なのだろう。それに何より、芸妓さんたちとの色恋沙汰は御法度。一見優男の弥彦さんだけど、人間の女性には興味がないと公言している神さまだから、この仕事は適任といえた。
「昔はね、お茶屋さんと屋形の間に入って金銭交渉や揉めごとの仲裁とかもしていたんだけど、いまはほとんど着物の着付けだけになっちゃったね」
「屋形って何ですか?」
「ああ、置屋って言った方が分かりやすいのかな。でも、別のイメージもあるからなあ。芸妓さんや舞妓さんの所属事務所みたいなものだよ」
「なるほど」
屋形が少女を受け入れ、言葉と所作と芸を授けて舞妓に育て、さらに芸妓へと羽ばたかせていく。
「舞妓さんのデビューである見世出しの日に、僕ら男衆の媒酌でお姉さんの芸妓さんと舞妓さんが固めの杯を交わす。それで正式に舞妓さんになるんだ。見習いの頃からずっと見てきた子が舞妓さんになると、何だか胸が熱くなるね」
「――ちょっと意外です。弥彦さんって人間に冷たいのかなと思ってました」
「僕が人間にそれほどやさしくないのは認めるよ。ぶっきらぼうだけど拓哉の方が本当は人間にやさしいと思う。でも、厳しい修行で涙を流してがんばった人が、その報いを正しく受け取って夢を叶える姿を見るのはすごく好きだよ」
舞妓修行は、厳しいらしい。挫折してしまう子もいるそうだ。
「やっぱり何事も一流になるには甘くないんですね」
「それはそうだよ。料理だって同じでしょ?」
四条大橋を越えて先斗町に入る。細い路地を何度か曲がって芸妓さん舞妓さんの家についた。すぐに奥から女将さんがやって来て、笑顔で出迎えてくださる。
女将さんといってもまだ若い。三十歳前後くらいだろう。和服の似合うとてもきれいな女性で、姿勢も立ち居振る舞いのひとつひとつも美しい。女将さん自身が芸妓さんをしてもまったく遜色ないと思う。
「弥彦さん、今日もよろしゅう」
「はい、夢(ゆめ)桜(ざくら)さん。今日から拓哉に料理を教わる子が荷物持ちで一緒なんだけど、いいかな?」
「あら、拓哉さんが人を雇わはったん? 珍しいわぁ。もちろん構いませんえ」
「は、初めまして。鹿池咲衣です。よろしくお願いします」
「はい、初めまして。若(わか)宮(みや)信(のぶ)子(こ)です。あんじょうよろしゅう」
うわぁ、和装美人の京都弁だ……。素敵しかない。
あれ、でも――。
「さっき、弥彦さんが『夢桜さん』って」
信子さんが着物の袖で口元を隠すようにしながら上品に笑った。
「ふふ。私も昔は芸妓をやってましてねぇ。『夢桜』いうんはそのときの名前。その頃、私も弥彦さんに着付けをお願いしてたんです。それでか何でか、女将になったいまでも弥彦さんだけは私を『夢桜』の名前で呼ばはるんですよ」
「だって夢桜さんは夢桜さんだもん。祇園最高の芸妓のひとりさ」
「おおきに。それにしても、咲衣さん言いましたっけ、肌きれいやねぇ。舞妓さんの格好とかさせたら似合いそうやわ。うちとこで舞妓体験してみます?」
「え、いいんですか」
「代金はちゃんと払わないとダメだけどね。ねえ、夢桜さん」
「毎度おおきに」と信子さんがにっこり笑っていた。