京都祇園 神さま双子のおばんざい処
 二階には着付けを待っている芸妓さんや舞妓さんがいた。部屋の両サイドにスチールラックがあって、そこに白い紙に包まれた着物がいくつも置かれている。

「はい、どうも」と弥彦さんが短く挨拶すると、黄色い声が上がった。

「弥彦さん、うちの着物から先にお願いします」

「お姉さんずるい。うちのお座敷の方が少し早いんですから」

 芸妓さんと舞妓さんが、どちらが先に弥彦さんに着付けをしてもらうかを言い合っていた。

 弥彦さんは軽く手首を回しながら、信子さんにそれぞれのお座敷のスケジュールを確認し、お座敷入りの時間とここからの距離を考えて順番に着付けをしていく。

 まず弥彦さんが着付けを始めたのは、舞妓さんや若い芸妓さんが着る「引きずり」と呼ばれる裾の長い着物だった。その着物に、長さ五メートル半、重さも五キロというだらりの帯を巻くのも、男の力がないと難しい。

 あの弥彦さんが真剣な顔で帯と格闘している。額の汗を時々無言でぬぐっていた。

 弥彦さんの手で、あどけない少女が舞妓に変身していく。

「あの長い足元を銀杏の葉のようにきれいに開かせることが男衆の腕の見せ所。弥彦さんは上手なんですよ。しかも、舞妓がどんなに舞をしても型崩れせえへんのに、ひとつも苦しくない」

 と、信子さんが教えてくれた。

「夢桜さんにそう言われると緊張しちゃうよ」

「弥彦さんに着せてもらえるうちの方が緊張しますよ」

 と、いま着付けをしてもらっている芸妓さんが言葉を挟んだ。

「またまた」

 弥彦さんがやんわりと受け流す。

 用意ができた舞妓さんたちから、女将さんの信子さんに挨拶してお茶屋へ出ていく。そのときに、弥彦さんにも軽く頭を下げていく舞妓さんや芸妓さんが多かった。

 さっきから気になっていたけど、舞妓さんたちの中には弥彦さんのファンも多いみたいだ。一方の弥彦さんは笑顔は見せても素っ気ない。色恋沙汰禁止の男衆としてはこれでいいのだろうけど。

 しかし、弥彦さんは信子さんにだけは素直な表情と言葉で接している。むしろ敬意すら払っているように私には見えた。

 そのことを話したら、信子さんがにっこり笑った。

「弥彦さんには、私が中学校を出て十五歳の仕込みのおちょぼの頃からお世話になってます。ええ兄さんみたいなもんです。舞妓になるときの固めの杯の媒酌もしてもろたし、舞妓から芸妓になる襟替えでお茶屋さんへ挨拶回り行くときも同行してもらいました」

 あれ? いま結構とんでもないことをさらっと言われたような気がする。

 信子さんの話を信じるなら、信子さんが舞妓さんになる修行をしていたときには弥彦さんは男衆の仕事をしていたことになる。

 仮に信子さんを三十歳と仮定しても、十五歳の頃となれば十五年前。

 私の見たところでは弥彦さんはまだ二十代だと思うのだけど、そうなると計算が全然合わない。

「それって、弥彦さんって見た目より年ってことですか」

 信子さんが吹き出した。

「見た目より年といえば、そうやねぇ。本来、男衆いうんは世襲なんやけど、あのお人は別。二百年くらいずうっと男衆の仕事をしてますさかい」

「それはつまり――」

「神さまやっていうこと。知ってる人は知ってるんよ」

「はあ……」

 ここにも「神さま」だと知っている人がいたんだ……。

「夢桜さんには『なるかみや』にもときどき来てもらってるしね。店の座敷席はごくまれにお茶屋さんの代わりに芸妓さんや舞妓さんを呼ぶこともあって、夢桜さんにも来てもらったこともあるし」

「芸妓やった頃に『なるかみや』さんで弥彦さんの三味線に合わせて踊ったときには、神さまの前やと思ってえらい緊張したわ」

「あはは。さて、ここでの今日のお仕事おしまい。じゃあ、僕は次の現場に行くね」

「あ、ちょっと待って」

 女将さんに慌ただしく一礼して、荷物持ちの私は弥彦さんのあとを追った。
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