京都祇園 神さま双子のおばんざい処
「せっかく京都に来たのだから、少しは京都らしいところへ寄って帰ろうか」
京都は、さっき電話した悪友の早苗の結婚式以来だから二年ぶりになる。
もっともそのときは彼女の結婚式に出席するために来たわけだから、観光なんてしていない。そういう意味では中学校の修学旅行以来の京都観光になるのだ。一泊くらいはしていっても構わないだろう。どうせ、無職になってしまったのだし。
もう少し気分が上向いていれば、いろいろ見て回る元気もあるのだろうけど。あまり落ち着いたところへ行ってしまっては、そのまま仏門に入りたくなるかもしれないから場所は考えよう。出家しちゃってもいいのかもしれないけど。
私がいまいるところは鴨川の北の出町柳にある下賀茂神社の近く。毎年五月十五日に行われる有名な葵祭はもう終わっている。もともと、葵祭が終わって先方の店が少し暇な時期を狙っての実技試験日程だったのだ。
「――八坂神社、行こうかな」
そう思ったのは、東京の実家のそばにも同じ名前の八坂神社があるから。私はスマートフォンでルートを調べ始めた。
「八坂神社っていったら、祇園のそばだよね」
祇園といえば舞妓さんである。本物の舞妓さんを拝んでこよう。
ついでに、京都のおばんざいもいただいてみようかな。
おばんざいというのは、お番菜、お晩菜、お万菜などと書いたりもする言葉で、昔から京都の一般家庭で作られてきた惣菜のことだ。
この辺りの京懐石や、ここから南に下った先斗町辺りの高級京懐石をいただく心の余裕はまだない。だけど、せっかく京都に来たのに自分の味が通用しなかったことだけを確かめて帰るのはもったいない。
気取らないけどおいしい京都の惣菜を食べよう。
そう思ったら、急にお腹が鳴った。
試験の緊張で、朝から何も食べていないんだったっけ。
私は両手で自分の頬を軽く数回、叩いた。弱った心を励ますおまじない。
「よし。行こう」
本当は思い切り泣きたいけど、女は涙を見せないもの。誰かに元気にしてもらう女になるより、誰かを元気にする女でいたい。
こんなだから板長や先輩たちからは、体育会系だとか色気より食い気とか言われたけど、本当は女らしいところもあるんですからね。スタイルだって気にかけているし。部活だって運動系じゃなくて茶道部だったし。
でも人間、食べなきゃ元気にならないもの。それに食べるならおいしいものの方がいいに決まってる。
このほんのささやかな思いつきが、これから私に大きな影響を与えるとはまったく想像していなかった。
八坂神社は京都市東山区祇園町北側(ぎおんまちきたがわ)にある。日本三大祭りの祇園祭でも有名だ。
明治維新前は祇園社と呼ばれていて、当時は鴨川一帯までの広大な境内地を有していたという。それが縁で辺りを祇園と呼ぶようになったそうだ。
いまでも八坂神社は「祇園さん」の愛称でも親しまれている。
どっしりした丹塗りの西楼門から参拝。ぐるりと回り込むようにして本殿と舞殿をお参りする。八坂神社のご祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)やその妻、八人の子供たちなど十三座。
さすがに人が多い。
何でも、京都府内での正月三が日の参拝者数では、伏見稲荷大社に次いでこの八坂神社が第二位だそうだ。いまの季節は外国人も多いし、学生服のグループもいる。修学旅行だろうか。何だか懐かしい気持ちになった。
再び西楼門から出て、祇園をひとりでそぞろ歩きする。
京都の町並みは碁盤の目のようになっているというが、ゆるく道が曲がっているところもあって、見慣れぬ町家づくりの道だと意外と迷う。気がつけば同じところをぐるぐる歩いていた。あの女子高生グループ、さっきも見かけた気がする……。
ちょうどいい時間だったのか、支度を終えた舞妓さんが道を歩いてる姿に何度か遭遇した。
同性ながら思わずうっとりしてしまう。
白塗りの顔に赤い紅。それなのにのっぺりした感じにならず、透明感を感じさせる白いお化粧だった。唇にさす紅は、下唇だけの舞妓さんもいれば、上唇にも紅をさしている人もいた。修行を始めて一年未満の舞妓さんは下唇だけだという。たしかに下唇だけ紅を塗っている舞妓さんは、まだどこか幼さを残したようにも見えた。私みたいにならないで、夢を叶えてほしいなぁ。
そういえば、最近は舞妓体験なるものを利用すれば、舞妓修行をしていない私でも舞妓さんの格好をさせてもらえるらしい。舞妓さんは芸妓さんの見習いということで二十歳が上限らしいから、二十四歳の私がするなら芸妓体験なのかしら。これこそ京都でしかできない体験なのだから、話の種に一度やってみようかな。
ところが、舞妓さんに見惚れていた私はとんでもないことに気づいた。
「――お財布がない」
スマートフォンを取ろうとトートバッグに手を入れたときに分かったのだ。
慌ててバッグの中身を漁るけど、私の黄色い長財布はどこにもない。
道の端に寄ってもう一度よく見てみるけど、やっぱりなかった。
嘘でしょ……。
京都は、さっき電話した悪友の早苗の結婚式以来だから二年ぶりになる。
もっともそのときは彼女の結婚式に出席するために来たわけだから、観光なんてしていない。そういう意味では中学校の修学旅行以来の京都観光になるのだ。一泊くらいはしていっても構わないだろう。どうせ、無職になってしまったのだし。
もう少し気分が上向いていれば、いろいろ見て回る元気もあるのだろうけど。あまり落ち着いたところへ行ってしまっては、そのまま仏門に入りたくなるかもしれないから場所は考えよう。出家しちゃってもいいのかもしれないけど。
私がいまいるところは鴨川の北の出町柳にある下賀茂神社の近く。毎年五月十五日に行われる有名な葵祭はもう終わっている。もともと、葵祭が終わって先方の店が少し暇な時期を狙っての実技試験日程だったのだ。
「――八坂神社、行こうかな」
そう思ったのは、東京の実家のそばにも同じ名前の八坂神社があるから。私はスマートフォンでルートを調べ始めた。
「八坂神社っていったら、祇園のそばだよね」
祇園といえば舞妓さんである。本物の舞妓さんを拝んでこよう。
ついでに、京都のおばんざいもいただいてみようかな。
おばんざいというのは、お番菜、お晩菜、お万菜などと書いたりもする言葉で、昔から京都の一般家庭で作られてきた惣菜のことだ。
この辺りの京懐石や、ここから南に下った先斗町辺りの高級京懐石をいただく心の余裕はまだない。だけど、せっかく京都に来たのに自分の味が通用しなかったことだけを確かめて帰るのはもったいない。
気取らないけどおいしい京都の惣菜を食べよう。
そう思ったら、急にお腹が鳴った。
試験の緊張で、朝から何も食べていないんだったっけ。
私は両手で自分の頬を軽く数回、叩いた。弱った心を励ますおまじない。
「よし。行こう」
本当は思い切り泣きたいけど、女は涙を見せないもの。誰かに元気にしてもらう女になるより、誰かを元気にする女でいたい。
こんなだから板長や先輩たちからは、体育会系だとか色気より食い気とか言われたけど、本当は女らしいところもあるんですからね。スタイルだって気にかけているし。部活だって運動系じゃなくて茶道部だったし。
でも人間、食べなきゃ元気にならないもの。それに食べるならおいしいものの方がいいに決まってる。
このほんのささやかな思いつきが、これから私に大きな影響を与えるとはまったく想像していなかった。
八坂神社は京都市東山区祇園町北側(ぎおんまちきたがわ)にある。日本三大祭りの祇園祭でも有名だ。
明治維新前は祇園社と呼ばれていて、当時は鴨川一帯までの広大な境内地を有していたという。それが縁で辺りを祇園と呼ぶようになったそうだ。
いまでも八坂神社は「祇園さん」の愛称でも親しまれている。
どっしりした丹塗りの西楼門から参拝。ぐるりと回り込むようにして本殿と舞殿をお参りする。八坂神社のご祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)やその妻、八人の子供たちなど十三座。
さすがに人が多い。
何でも、京都府内での正月三が日の参拝者数では、伏見稲荷大社に次いでこの八坂神社が第二位だそうだ。いまの季節は外国人も多いし、学生服のグループもいる。修学旅行だろうか。何だか懐かしい気持ちになった。
再び西楼門から出て、祇園をひとりでそぞろ歩きする。
京都の町並みは碁盤の目のようになっているというが、ゆるく道が曲がっているところもあって、見慣れぬ町家づくりの道だと意外と迷う。気がつけば同じところをぐるぐる歩いていた。あの女子高生グループ、さっきも見かけた気がする……。
ちょうどいい時間だったのか、支度を終えた舞妓さんが道を歩いてる姿に何度か遭遇した。
同性ながら思わずうっとりしてしまう。
白塗りの顔に赤い紅。それなのにのっぺりした感じにならず、透明感を感じさせる白いお化粧だった。唇にさす紅は、下唇だけの舞妓さんもいれば、上唇にも紅をさしている人もいた。修行を始めて一年未満の舞妓さんは下唇だけだという。たしかに下唇だけ紅を塗っている舞妓さんは、まだどこか幼さを残したようにも見えた。私みたいにならないで、夢を叶えてほしいなぁ。
そういえば、最近は舞妓体験なるものを利用すれば、舞妓修行をしていない私でも舞妓さんの格好をさせてもらえるらしい。舞妓さんは芸妓さんの見習いということで二十歳が上限らしいから、二十四歳の私がするなら芸妓体験なのかしら。これこそ京都でしかできない体験なのだから、話の種に一度やってみようかな。
ところが、舞妓さんに見惚れていた私はとんでもないことに気づいた。
「――お財布がない」
スマートフォンを取ろうとトートバッグに手を入れたときに分かったのだ。
慌ててバッグの中身を漁るけど、私の黄色い長財布はどこにもない。
道の端に寄ってもう一度よく見てみるけど、やっぱりなかった。
嘘でしょ……。