京都祇園 神さま双子のおばんざい処
「災難だったね、いろいろと」

「ええ……」

 弥彦さんがお茶を淹れてくれた。しみじみと慰められながら、翡翠色の温かなお茶をいただいていると、本当に涙が出そうになってきた。

 町家を改装した店内は思いのほか、広々としていた。

 江戸時代には間口税といって、玄関の間口の広さに応じて税金を課したとかで、祇園の町家は入り口は狭く、奥は広く、いわゆるうなぎの寝床のように作られている。

 この店も、入り口はごく狭く、しかも照明も落とし気味で雰囲気があった。三和土(たたき)があったが靴のまま上がれる設計になっている。

 三和土を上がった突き当たりで左に入ると、美しい内装が出迎えてくれる。

 木と土でできた内装は、広く、明るかった。奥のカウンターの白木が光っている。このカウンターだけで七席あった。

 向かって右には、オープンになっているテーブル席と、仕切りがあって半個室のような使い方のできる席がある。それぞれ六人掛けのテーブルと四人掛けのテーブル席だが、互いに入れ替えることもできる空間はある。

 カウンターに向かって左手にはお座敷席もある。お座敷席は十人以上入れるだろう。

 俗っぽくなく、かといってお高くなく、品がある。食べ物屋さんのはずなのに、なぜか神社の境内のような感じがした。

 いま私は、きれいに磨かれた白木のカウンター席に座らせてもらっている。

 まるでついさっき切り出されたばかりのような白く美しい木だった。

 カウンターに座れば拓哉さんが目の前でおばんざいを作ってくれるのが見られる。

 少し覗き込むと、清潔なまな板や使い込まれた調理器具が見えた。拓哉さんの後ろには何本かのお酒の瓶が並んでいて、名前が書かれたものもあった。

 拓哉さんは仕込みの手を休めてスマートフォンで何件も電話をしてくれていた。

「いま、八坂神社の関係者やこの辺りのお茶屋さん、あとおまわりさんにも連絡した。残念ながらそういう落とし物の連絡はないそうだが、おまえの財布が見つかったらすぐに持ってきてくれる」

「あ、ありがとうございます」

「みんな、うちのお客さんなんだ。だから、拓哉が電話すればみーんな力になってくれるのさ。あ、茶柱が立ってる。いいことあるよ。大丈夫」

 弥彦さんが楽しそうにしている。拓哉さんと一緒の前掛けをしている。給仕の格好のようだ。
「ひょっとして、おふたりは何かその、とんでもない謎の力的なものを持ってるとか?」

 お客さんだからといっても、電話一本で辺り一帯の人が力を貸してくれる飲食店なんて聞いたことがない。東京にいた頃の私の勤め先はグルメサイトでも有名なお店だったけど、こんなふうにお願いできるお客様はどれだけいるだろうか。

「京都ってさ、言葉遣いが独特だから他の地方の人にはなかなか理解されなくて『いけず』なんて言われるけど、本当はずっとずっと長い歴史の中で互いを気遣って支え合っている、素敵な場所なんだよ」

 思わず唇をかんだ。高ぶる気持ちを堪える。

 東京から挑戦してやると乗り込み、自分の力不足で料理の実技試験に落ちた。

 私にとって、いままで京都は乗り越えるべき壁であり、挑戦相手で、敵だった。そんなふうに見えていた。

 それで負けて去っていくだけの場所だった。

 でも、この双子のおかげで私は京都の違う顔を見せてもらえた。

「――京都っていいところなんですね」

「どこだって本当は同じだ。そこに住む人間の心によって違って見えるにすぎない」

 カウンターの向こうで拓哉さんが顔を上げずに言った。料理の盛り付けに集中しているようだ。

 その動きが、これまで見たどの料理人より美しかった。

 どんな材料を使っているのだろう。

 京都おばんざい専門店。一日一組限定。メニューなし。

 今日仕入れることができる最高の素材を集めたりしているのだろうか。

 さっきの出汁の香りも、これまで嗅いだことがあるどんな出汁よりも香りが強いのに、とても柔らかい感触。初めての経験だった。

 玉子焼き器が音を立てる。

 材料も調理法も盛り付けも、何もかもがすごく気になる。仕入れ先も知りたい。

 すると、腕を後ろに引かれた。

「あんまり食い入るように見ていると、拓哉が緊張しちゃうよ」

「あ、すみません」

 いつの間にか身を乗り出していたみたいだ。

「こう見えてあいつ、シャイだからさ」

「変なこと言うな」

 拓哉がさんができ上がった料理を静かに並べる。

 玉子焼き、おから、漬けまぐろ、真薯と野菜の煮物。煮物はこちらでは「炊いたん」とよく言われる。「京都のおばんざい」なんていうと身構えてしまいそうになるけど、こういう気取らないお料理が本当のおばんざい。

 私がいま食べたかったものだった。
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