京都祇園 神さま双子のおばんざい処
材料の切り方、盛り付け、器の並べ方、ひとつひとつの仕事が丁寧なのが一目で分かった。素材はどこのものを使っているのだろう。調味料は何を。野菜はなるべく地のものを使っているのだろうか。食べるよりも先にいろいろ研究したい。
匂いを確かめたくて、手前に置かれた炊いたんの器を取って鼻に近づけようとしたら、拓哉さんが止めた。
「いまのおまえはお客だ。この料理がいちばんうまいタイミングですぐに食べてやってほしい」
拓哉さんが料理に向けるまなざしが、まるで我が子を見る親のようだ。
「あ、はい」
私は思わず顔が熱くなった。
「それと、念押ししておくが、お金のことは気にするな。財布が戻ってから、そうだな、五百円くらいもらえればいい。それより食べることに専念するといい」
「え?」
横で弥彦さんの笑い声がする。
「あはは。いまのきみに大事なことは、あれこれ考えることじゃなくて、食べておいしくて、笑顔になるってことじゃないの? 拓哉はそう言いたいんだよ」
弥彦さんの声がすとんとお腹に落ちた。
そうだ。文無しの私に親切にしてくれて、一日一組しか取らない店の大切な料理を後払いで食べさせてくれるというのだ。いまは素直に感謝して、おいしくいただこう。研究をしたいなら、また改めて来させてもらえばいいのだ。
急に肩の力が抜けた。
そのとき、不思議なことが起こった。
「あれ? お料理が、光って見える……?」
目の前のおばんざいたちがきらきらと輝いていた。照明を強くしたわけではない。思わず目をこするが、目の錯覚でもなかった。
「ごはんと味噌汁だ。さあ、召し上がれ」
拓哉さんがごはんとお味噌汁を並べてくれた。
私は手を合わせて「いただきます」と一礼して食べ始める。
ふっくら炊けた白いごはんは真珠のように光っていて、口に入れると温かな香りがした。噛むほどに甘味が広がる。
出汁のきいたお味噌汁の具は豆腐と若布(わかめ)。出汁と味噌の旨味にほっとする。口当たりも喉ごしも、どんな高級店のお椀よりも洗練されていた。
ちょっと甘い玉子焼きも、味が深く沁みた漬けまぐろも、ごはんにとてもよく合う。
おからは見た目よりもしっとりしていて深みのある味。
真薯と野菜の炊いたんは、あればあるだけいただきたいくらいにおいしかった。おからや炊いたんは味噌汁とは別の出汁かもしれないが、いまはとにかくこのおいしさを心ゆくまで味わいたい。
どの品も一度はどこかで食べたことがある料理のはずなのに、どの味も初めて食べるような新鮮さと温かさだった。
「へへ。どう? 拓哉のおばんざい、うまいっしょ?」
「すごく親しみやすくて、とても懐かしい気持ちになるのに、こんなおいしいおばんざいをいただいたのは生まれて初めて」
拓哉さんが微笑みながら私に左手を差し出した。
「おかわり、あるぞ」
「あ――」
その微笑みを見て、その声を耳にした途端、激しく涙がせり上げた。
「え、咲衣さん、どうしたの?」と弥彦さんが慌てている。
「な、何でもないです」
口ではそう答えたけど、ふと昔の懐かしい記憶が甦ってきて肩が激しく震えた。
『おかわり、あるぞ』――その言葉は、いまは亡くなってしまったおじいちゃんがかつて私によく言ってくれた言葉だった。
顔はまるで違うのに、拓哉さんの微笑みがふとおじいちゃんの笑顔と重なる。
小さな定食屋を開き、何十年もずっと調理場に立ち続けたおじいちゃん。
私、おじいちゃんの作るごはんがおいしくて、大好きで。
私がおじいちゃんの真似をしてフライパンでごはんを炒めたとき、顔をしわしわにして笑いながら、私の頭を撫でてくれたっけ。
ハムを適当に切って卵と一緒にごはんを炒めた。味付けなんて塩、コショウと醤油だけ。ごはんもだまが残ってチャーハンなんて呼べない代物を、おじいちゃんは「おいしいおいしい」と笑顔で食べてくれた。
あれが、あれこそが、私が初めて誰かのために作った料理。
あのときのおじいちゃんの笑顔がうれしくて――私は料理を始めたのだった。
料理を学んで材料や味付けには詳しくなったけど。
おじいちゃんの笑顔を私は忘れてしまっていた――。
涙と共に知らず知らずにそんな話をして、ふと我に返った。ごはん食べて泣き出して、身の上話なんて絶対引かれるよね。私、やっぱりいろいろ弱ってるんだ……。
ところが、そんな心配をよそにふたりのイケメンは私の話をじっと聞いてくれていた。拓哉さんはじっと黙って。弥彦さんはちょっと微笑んで。
「よくあることだ」と拓哉さん。
「これが、僕たちの店の力なんだよ」と弥彦さん。
「え、え、え?」
ふたりの言葉が分からなくて、涙が引っ込む。
「多分おまえは、この場所に呼ばれてきたんだろう」
拓哉さんがおかわりのごはんを手渡してくれた。
「住所的にはここは祇園町北側だけど、普通じゃなかなか見つけられない場所だからね。何事も神仕組みさ。そうだ。咲衣さん、料理できるんなら、しばらくうちにいればいいじゃん。住み込みで」
いつの間にか私も下の名前で呼ばれてるのは目をつぶる。問題はそこじゃない。
「ああ、それがいいかもな」と拓哉さんまで頷いているがよくない。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいっ」
見ず知らずの男性(しかもふたり)のところに転がり込むなんて、あり得ないでしょ。おいしいものをくれたいい人たちなのだろうというのは分かるけど、それはない。断じてない。
急に弥彦さんが笑い出した。
匂いを確かめたくて、手前に置かれた炊いたんの器を取って鼻に近づけようとしたら、拓哉さんが止めた。
「いまのおまえはお客だ。この料理がいちばんうまいタイミングですぐに食べてやってほしい」
拓哉さんが料理に向けるまなざしが、まるで我が子を見る親のようだ。
「あ、はい」
私は思わず顔が熱くなった。
「それと、念押ししておくが、お金のことは気にするな。財布が戻ってから、そうだな、五百円くらいもらえればいい。それより食べることに専念するといい」
「え?」
横で弥彦さんの笑い声がする。
「あはは。いまのきみに大事なことは、あれこれ考えることじゃなくて、食べておいしくて、笑顔になるってことじゃないの? 拓哉はそう言いたいんだよ」
弥彦さんの声がすとんとお腹に落ちた。
そうだ。文無しの私に親切にしてくれて、一日一組しか取らない店の大切な料理を後払いで食べさせてくれるというのだ。いまは素直に感謝して、おいしくいただこう。研究をしたいなら、また改めて来させてもらえばいいのだ。
急に肩の力が抜けた。
そのとき、不思議なことが起こった。
「あれ? お料理が、光って見える……?」
目の前のおばんざいたちがきらきらと輝いていた。照明を強くしたわけではない。思わず目をこするが、目の錯覚でもなかった。
「ごはんと味噌汁だ。さあ、召し上がれ」
拓哉さんがごはんとお味噌汁を並べてくれた。
私は手を合わせて「いただきます」と一礼して食べ始める。
ふっくら炊けた白いごはんは真珠のように光っていて、口に入れると温かな香りがした。噛むほどに甘味が広がる。
出汁のきいたお味噌汁の具は豆腐と若布(わかめ)。出汁と味噌の旨味にほっとする。口当たりも喉ごしも、どんな高級店のお椀よりも洗練されていた。
ちょっと甘い玉子焼きも、味が深く沁みた漬けまぐろも、ごはんにとてもよく合う。
おからは見た目よりもしっとりしていて深みのある味。
真薯と野菜の炊いたんは、あればあるだけいただきたいくらいにおいしかった。おからや炊いたんは味噌汁とは別の出汁かもしれないが、いまはとにかくこのおいしさを心ゆくまで味わいたい。
どの品も一度はどこかで食べたことがある料理のはずなのに、どの味も初めて食べるような新鮮さと温かさだった。
「へへ。どう? 拓哉のおばんざい、うまいっしょ?」
「すごく親しみやすくて、とても懐かしい気持ちになるのに、こんなおいしいおばんざいをいただいたのは生まれて初めて」
拓哉さんが微笑みながら私に左手を差し出した。
「おかわり、あるぞ」
「あ――」
その微笑みを見て、その声を耳にした途端、激しく涙がせり上げた。
「え、咲衣さん、どうしたの?」と弥彦さんが慌てている。
「な、何でもないです」
口ではそう答えたけど、ふと昔の懐かしい記憶が甦ってきて肩が激しく震えた。
『おかわり、あるぞ』――その言葉は、いまは亡くなってしまったおじいちゃんがかつて私によく言ってくれた言葉だった。
顔はまるで違うのに、拓哉さんの微笑みがふとおじいちゃんの笑顔と重なる。
小さな定食屋を開き、何十年もずっと調理場に立ち続けたおじいちゃん。
私、おじいちゃんの作るごはんがおいしくて、大好きで。
私がおじいちゃんの真似をしてフライパンでごはんを炒めたとき、顔をしわしわにして笑いながら、私の頭を撫でてくれたっけ。
ハムを適当に切って卵と一緒にごはんを炒めた。味付けなんて塩、コショウと醤油だけ。ごはんもだまが残ってチャーハンなんて呼べない代物を、おじいちゃんは「おいしいおいしい」と笑顔で食べてくれた。
あれが、あれこそが、私が初めて誰かのために作った料理。
あのときのおじいちゃんの笑顔がうれしくて――私は料理を始めたのだった。
料理を学んで材料や味付けには詳しくなったけど。
おじいちゃんの笑顔を私は忘れてしまっていた――。
涙と共に知らず知らずにそんな話をして、ふと我に返った。ごはん食べて泣き出して、身の上話なんて絶対引かれるよね。私、やっぱりいろいろ弱ってるんだ……。
ところが、そんな心配をよそにふたりのイケメンは私の話をじっと聞いてくれていた。拓哉さんはじっと黙って。弥彦さんはちょっと微笑んで。
「よくあることだ」と拓哉さん。
「これが、僕たちの店の力なんだよ」と弥彦さん。
「え、え、え?」
ふたりの言葉が分からなくて、涙が引っ込む。
「多分おまえは、この場所に呼ばれてきたんだろう」
拓哉さんがおかわりのごはんを手渡してくれた。
「住所的にはここは祇園町北側だけど、普通じゃなかなか見つけられない場所だからね。何事も神仕組みさ。そうだ。咲衣さん、料理できるんなら、しばらくうちにいればいいじゃん。住み込みで」
いつの間にか私も下の名前で呼ばれてるのは目をつぶる。問題はそこじゃない。
「ああ、それがいいかもな」と拓哉さんまで頷いているがよくない。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいっ」
見ず知らずの男性(しかもふたり)のところに転がり込むなんて、あり得ないでしょ。おいしいものをくれたいい人たちなのだろうというのは分かるけど、それはない。断じてない。
急に弥彦さんが笑い出した。