新月の夜はあなたを探しに



 バレンタインやホワイトデー、そして卒業のシーズンである今はとても忙しく、注文の依頼もひっきりなしにくる。
 葵音は、デザインの構想と、ジュエリーの制作に追われていた。

 
 「しばらくは、遊びにも行けないな。」


 作業場は、孤独だ。
 ついつい独り言を呟いてしまう。けれど、返ってくる言葉はもちろんない。
 30歳になって、結婚を考えることもあったけれど、今は忙しさを言い訳に考えないようにしていた。それに、葵音はその事を考えるの嫌いだった。


 「……さて。仕事に集中するか。」


 葵音はペンを持って、机に向かった。
 今回も、とある男性から恋人へとプレゼントだった。思い出の花である「スターチスの花」をデザインしたものにしてたいと相談を受けていた。
 葵音は、先ほど花屋に行ってスターチスの花を購入していた。コップに水を入れて、スターチスの花を机の上に置いた。
 花など滅多に買うことはない。けれど、何か依頼されたデザインものが買えるものならば、葵音は購入するようにしていた。
 写真で見るのと、生で見るのは違うと思っていたからだった。
 葵音は、真剣な目で花を見つめたスケッチを続けた。集中してしまうと、夢中になって周りが見えなくなってしまうのは、葵音の悪い癖だった。
 葵音が次にペンを置いたのは、依頼主が家にやってきた時だった。





 そんな慌ただしい日々を送っているうちに、季節は変わっていく。
 気づけば春になっていた。生暖かい風が心地よく、草花の香りを運んでくれる。
 ニュースでも花見の話題が多くなり、寒かった冬も終わりが来そうな頃だった。


 「……よし。これで、今日の依頼は終わりだな。」


 今日はお得意様との打ち合わせだったので、近所のレストランでランチを食べながら話しをしていた。
 お客と別れて歩いていると、汗ばむぐらいの気温になってきた。


 「少し暑くなってきたな……。春は気温差があるからなー。」


 葵音はそう呟きながら、羽織っていたジャケットを脱いで、薄手のセーターにズボンという格好になった。首からは、月がモチーフのネックレスをして、ハングルもシルバーの物をつけていた。靴は黒の皮の靴。それが葵音のスタイルだった。ジュエリー作家として、アクセサリーは必ず身につけるようにしていた。

 脱いだジャケットを腕にかけて、自宅に向けて歩いていく。

 と、以前立ち寄ったコーヒーショップの前を歩いた時だった。
 ガラス張りのカウンター席に座る一人の女性が目に入った。交差点を険しい表情で見つめる、あの美人な女だった。
 葵音があのコーヒーショップで彼女を見てから1ヶ月は経っていた。
 それなのに、彼女はまだ同じ席に座っているのだ。葵音は「本当に不思議な女だな。」と心の中で思いながら、交差点を見つめる彼女を、こっそりと見ていた。
 
 すると、不意にその女がこちらを見たのだ。
 葵音は「やばいっ。」と思い、すぐに彼女から視線を逸らした。見ていたことが気まずいと思いながらも、ただの他人だから深く気にしなくてもいいと考えるようにしてその場から立ち去ろうとした。
 葵音は気にしないで、彼女の前を通りすぎた。



< 4 / 136 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop