氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
如月は、‟とある噂がある”と言葉少なに朔に注意を呼び掛けた。

常々情報を集めては秘密裏に案件を処理してきた如月が警戒するのだから、甘く見てはいけない。

氷雨はいついかなる時でも朔の盾となり、矛となるため、能登に来て緩んでいた気を引き締めた。

明らかに表情の変わった氷雨を頼もしく見つめていた朧は、背後からちょんと肩を突かれて振り返った。


「あ、泉さん」


「朧ちゃん、ちょっと危ない場所みたいだけどついて行くの?」


「はい、私…氷雨さんと一緒に居たいので」


「そっか。…何を見ても驚かないようにね」


「?はい」


朔と氷雨が揃って猫又の背中を撫でてやっているのを見た朧は、如月と泉に手を振って猫又に駆け寄り、その背に乗った。


「如月姉様、表情が固かったですね。泉さんも危ない場所だって言ってました」


「そうみたいだな。だからちょろちょろするんじゃないぞ」


「もうっ、童扱いはやめて下さい」


朔は晴明から借りた八咫烏の背に乗って先行していた。

如月が示した集落はとても小さな集落で、警戒すべき要素は何もないような気がするが――一体何をそんなに気にしているのかと最初は訝しんでいた氷雨だったが…


遥か前方に黒煙が上がっているのを見た氷雨は、鋭い声を発した。


「主さま!それ以上先に行くな!」


朔がすぐ止まった。

こうして百鬼夜行の主を易々と止めることができるのは実質氷雨だけで、猫又の腹を軽く蹴って速度を上げると、朔の隣に寄せて真っ青な目に警戒の色を浮かべた。


「集落が焼かれてる。それにあの気配…何か居るぞ」


「一歩遅かったか。雪男、行くぞ」


「俺が先に行く。主さまは朧と一緒に来てくれ」


頷いた朔に頷き返した氷雨は、猫又を操って黒煙の中を進んだ。


「臭いにゃ。人の焼ける匂いにゃ」


「人…?ここは妖の集落じゃないのか?」


眼下を見下ろすと――数体の人だったものが転がっていた。

一部を食われ、打ち捨てられたその姿に氷雨はこれが妖の仕業であることを確信して集落を一周した。


「生き残ってる者は居ないようだな。……ん?泣き声…?」


か細く間高い声で泣く、赤子のような泣き声。

これが、序章の始まりだった。

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