氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
杏が乳を与えようとしたものの――拾った赤子は飲もうとせず、容器に分けてもらって朔たちの居る部屋に戻った。

すると出かけていた晴明がにこやかに笑いかけてきたため、兄姉そろって絶大なる信頼を寄せている晴明に駆け寄って赤子を見せた。


「朔から色々聞いたよ。大変だったねえ」


「はい…。この子のお母様が何度も‟殺さないで”って言ってて…可哀想で…」


ふむ、と呟いた晴明は、朧から赤子を受け取って何でも見通す切れ長の目で静かにしている赤子の目の奥を覗き込んだ。

妖と人、両方の性質を備え持った赤子の目は純真無垢そのもので、この頃はまだ確実な診断はできないものの、今の所危険な存在ではないと踏んで産着を脱がせ始めた。


「お祖父様?」


「人としての性質の方が多いようだけれど、身体的な特徴も診ておこう。この角は…もしかしたらこのままかもしれないね」


鬼族の赤子は小さな頃は角が露出しているものの、成長するにつれ額の内側に隠す術を覚える。

朧たちもそうだったが、この赤子の角が隠せないかもしれないと聞いた朧は、人の世では生きていけないと暗に言われて、伸ばしてきた小さな指を握った。


「じゃあ…うちで引き取った方が…」


「いや待ちなさい。いいかい朧。鬼頭家は家業の性質上様々な妖に目の敵にされている。現場には人が食い散らかされた跡があると言ったね?朧…人を凌辱するのは、大抵上級の妖なんだよ」


「え…」


「弄び、泣き叫ぶ様を悦として時折人里に現れては美しい容姿と声色で女子に近付き、最終的には本性を現して凌辱する妖は存在する。朧…そなたたちの父の十六夜は異例なのだよ。妖と人は本来天と地ほどの生き物としての差がある」


――ますます赤子を哀れに思った朧は、一言も発しない隣の氷雨の袖を握って見上げた。

その表情は…一見無表情に見えたが、同じように哀れに思っている色に濡れていた。


「だから…引き取るのは駄目なんですか?」


「自我が芽生えるまでは良しとしよう。まずは十六夜たちにも相談しないとね。まあ…息吹は喜んで受け入れるだろう」


自我が芽生えるまでは数年かかる。

丁寧に産着を着せた朧は、柔らかい頬を突いて優しく呼びかけた。


「私がお母様の代わりになってあげるからね」


これが途方もない混乱を招くとは何も知らずに。
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