氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
「主さまはあの赤子の真名、何がいいと思う?」


「…真名?」


朔の元を訪れた氷雨は、膝がくっつく程ぴったりくっついて座ってにこにこしていた。

真名と言えば――朔はまだ生まれてこの方氷雨から真名を呼ばれたことがなく、ちょっとむっとして、ふいっと顔を背けた。


「すでに真名がある可能性もある。それもお祖父様に調べて頂いた方がいい」


「そっか、そうだよな。…なあ。なんで機嫌悪いんだ?」


「別に。気のせいじゃないか」


「いーや違う。主さまは小さい頃から機嫌が悪いと目を合わさないし声がちょっと低くなる。俺が怒らせたのか?」


目を閉じて話すつもりがないという意思表示を見せた朔をじっと見つめる氷雨。

本来なら朔を怒らせれば命を諦めなければならないが、氷雨はその場を離れることなくそのままのんびり茶を啜り始めた。


「…」


「……」


「……主さま…妬いてんだな?」


「…はあ?」


やや図星だったものの心外だと言わんばかりの声色で氷雨を睨んだ朔は、氷雨のわき腹を肘で思い切り突いた。


「ごふぅっ」


「お前たち夫婦ふたりして構いすぎるな。うちで世話するのは危険だとお祖父様に言われたから、俺は長く手元に置いておくつもりはない。移ろうなと言っている」


「分かったって。じゃあまた晴明に調べてもらうか」


「…お前は俺の真名を知っているか?」


…知っているも何も朔の真名はその名の通りであり、慣例として百鬼夜行の当主の真名は親族以外呼んではならない。

それ故に氷雨も真名を一度も呼んだことはなく、何を言うのかとこくんと頷くと、朔はふんと鼻を鳴らしてまた顔を背けた。


「ならいい」


「?じゃあまた後でなー」


朔と別れて廊下を歩きながら、気付いた。


「あれ?俺ってもう…一応親族ってことになるのか?」


気付いたものの恐れ多くて、頬をかきながら朧の元に戻った。
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