氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
泉邸には幽玄町の朔の屋敷と違い、多くの使用人が居る。

氷雨は妻が居るが――朔には居ない。

身分違いだと分かっていても女中たちが俄かに沸き立つのは仕方がないのだが…皆が朔が放つ独特の色気や近寄りがたい雰囲気に呑まれて話しかけることもなく、遠巻きにきゃあきゃあ騒がれていた。

朔としてはそういうのには慣れっこであり、大切なのは、目を合わせないこと。

過去何となく目が合っただけで勘違いされて何度大騒動になったことか――

その点氷雨は朔と同様圧倒的な美貌の持ち主だったが気さくであり、話しかければ応じるし、笑顔もよく見せる。

そうなれば朔の代わりではないがもてはやされるのは最早避けようがなく、女中たちに囲まれて饅頭や飲み物など様々なものを貢がれて若干困り顔の氷雨を見た朧はきりきりしていた。


「もう…また囲まれてる…」


「朧、お前が赤子ばかりに構っていると…なんでもない」


「!朔兄様まで!私が赤ちゃんばかり可愛がっていると…愛想を尽かされますか…?」


それはないだろうけど、と内心思いつつ、朔はわざと思案顔になって朧の腕の中ですやすや寝ている赤子をちらりと見遣った。


「あれは情が移らないように節度を持って赤子と接してるけど、お前は違うね?うちは確かに捨てられた子には縁があるけど…この子は駄目だと思う。まだ勘の段階だけど」


――朔の勘を疑ってはいないが、親を失い、半妖という身で生きていくにはあまりにも哀れで、出来うる限りのことはしてやりたいと思う朧が唇を噛み締めた。


同じ半妖の身ではあるが、自分はあまりにも恵まれている環境に産まれた。

だがこの子は違い、成長しても人と妖双方から疎まれる可能性が高く、それをどうにかしてやりたいと思うのは自分なだけなのだろうか?


「朧…」


「朔兄様…後でそこで囲まれてる人を苛めて下さいね。私、ちょっとお庭を散歩してきます」


とぼとぼとした足取りで庭に下りた朧を独りにさせるわけにはいかず、朔は小さな声で屋根の上に呼びかけた。


「ぎん」


「仕方ないな、俺が見ておいてやろう」


朧以外、誰も警戒を怠っていなかった。

そして朔は朧の要望通りにその後氷雨を苛め抜いて満足した。
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