氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
朔には最も大きな客間があてがわれていたが、そこに朔は居なかった。

あちこち見て回っていると――朔が庭に下りてひとり黙々と天叢雲で素振りをしているのを見つけて裸足で庭に下りた。


「主さま」


「なんだ、今忙しい」


「素振りしてるだけじゃん。あのさ主さま…ごめん」


「何が」


「赤子に真名をつけたいとか言って困らせてるだろ?自覚してなかったけど俺も舞い上がってたみたいでさ…あの子が今後どうなるか、主さまの手を煩わせることになるかもしれないのに」


朔は氷雨の謝罪を素振りしながら聞いていたが、言葉が途切れると天叢雲を鞘に収めて肩で息をついた。


「手をかけること自体もそうだが、お前や朧に恨まれるのだけは避けたいとは思っていた。恨んでいないと言われても俺たちの間にわだかまりはできる。そうなると…もう目もあてられない」


朔にとって気兼ねなく相談できる相手は氷雨だけであり、氷雨との間に軋轢が生じると、百鬼夜行においても、互いの関係性においても支障が生まれる。

氷雨と朧の間に早く子ができればいいとは思っていたが、捨てられていた赤子を代わりにと言わんばかりに育てようとしていることには…それは違うと声に出して言いたかった。


「ごめん。本当にごめん。俺は主さまが一番大切だ。己の役割を果たさなや。朧には俺からちゃんと…」


「俺が言いたいのは、真名はとにかく付けるな。あと人食いでないのなら手にかける必要はない。自我が芽生えるまで傍に置く。見極めてから、最終的に決める」


「了解。主さま…思ってることはちゃんと言ってくれ。いや、俺が悪かったんだけど」


「のぼせ上って俺を蔑ろにした罰だ」


ふんと鼻を鳴らした朔の端正な横顔に思わず苦笑。


後は――朧の説得を試みなければならない。

何が何でも納得させるという心意気で、今度は朧の元に向かった。
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