氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
氷雨はとあることに気付いていた。

それを確かめるため、部屋に戻って朧の隣に座り、その白くて柔らかい頬に手を伸ばそうとした時――赤子が泣き始めた。


「んー、やっぱりな」


「え?い、今…何をしようとしてました?」


氷雨に触ってもらえるとどきどきしていたのに赤子がまた泣き出して手を引っ込められてがっかりしていると、氷雨は揺り籠の中でぎゃんぎゃん泣いている赤子を覗き込んだ後、頬をかいた。


「お前に触ろうとするとこいつ泣き出すんだ。もう母ちゃんだと思ってるのかもな」


「そう…なんでしょうか?ふふ」


嬉しそうに笑った朧に釘を刺さなければならないため、氷雨は心の中で散々傷つけないような言い回しをするため言葉を選んでいたが、直接心に響かせるためには背に腹は代えられないと思った。


「朧…真名を付けるのはやっぱりやめよう」


「え!?どうして…ですか?」


朧があからさまに嫌がる素振りを見せると、氷雨はまた赤子が泣き出すことを承知で朧の手をきゅっと握った。

案の定泣き出したものの、氷雨も負けじと朧の両手を握ったまま真摯な眼差しで訴えた。


「このままじゃ主さまが傷ついてしまうんだ。俺たちが真名を付けてしまえばさらに愛着が沸いて手放せなくなるかもしれない。そしてこいつが成長して人食いだと分かれば…主さまはどうすると思う?」


「…あ……で、でも…」


「俺は主さまの百鬼として、主さまが一番大切だ。俺が障害になるわけにはいかないんだ。朧…分かってくれ」


――兄がこの赤子を殺してしまうかもしれない。

正当な理由があれど、もうかなり愛着の沸いている赤子が殺されてしまうかもしれないという現実に朧は唇を震わせた。


「主さまを恨むなよ。それにまだ人食いかも分からないから、それまではちゃんと育ててやろう。真名が駄目なら通り名でもいい。通り名なら真名の持つ制約がないから、そうしないか?」


「……はい…」


「すぐ受け入れられないのは分かる。だけどよく考えてくれ。主さまも苦悩してる。ふたりで話すのがいいと思う」


朔は日々百鬼夜行に献身を注いでいる。

常にその身は戦いの最中にあり、兄姉共通で朔を支えてゆこうと決めていた。


「私…朔兄様にお会いしてきます」


「ん」


部屋を飛び出した。
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