氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
母は居ない――そう理解した。

入れ替わり立ち代わり会いに来る者たちは、自分を歓迎していない――それも理解した。

けれど――唯一無二の愛情を注いでくれる者が居る。

とてもきれいで優しくて、だけれど乳をねだっても少し悲しそうな顔をするから、あまりねだらないことにした。

そうだ、この世話をしてくれるきれいな人を母にしよう――

そう、決めた。


「父様、むすっとしてる」


「…お前が余計なものを持ちこむからだ」


「私は泣いてる赤ちゃんを放置しておく薄情者じゃありません。それに母様だって同じことしたと思います」


「…」


それはそうだな、と内心思いつつも、思いがけず恵まれた我が子たちの中ではかなり歳が離れた末娘を溺愛している十六夜は、それ以上口論をしたくなくて口を噤んだ。


「お祖父様が虫封じをしてくれたからここずっと大人しいんです。それに父様…」


「…なんだ」


「もう朔兄様は戻って来たんだし、家に帰らないんですか?」


「……」


…まるで追い出そうと言わんばかりの口ぶりに思わず口がへの字に曲がると、朧は焦って十六夜の膝に座って袖を引っ張った。


「でも!居てくれるととっても心強いです」


「…取ってつけたような言い方だが、まあいい。しばらくは滞在する。朔にそう言っておいてくれ」


「はい」


雲ひとつない夜空の下、氷雨はふたりの話の邪魔にならないよう庭に下りて池の鯉を眺めていた。

その横顔を見ているだけでもときめく――つい見惚れていると、十六夜に軽くぽかりと頭を叩かれて呆れられた。


「…お前は本当にあれに参っているんだな」


「え…今更気付きました?」


「……」


また口をへの字に曲げて朧に笑われたものの、娘の前では父らしくいようと少し笑って朧が話してくれる旅の話に耳を傾けた。
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