氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
引っ付いて離れない望を引き剥がすのに苦労したものの、朧はやはり何ら一切氷雨のことを覚えていなかった。

それでも氷雨が落胆しなかったのは、昨晩約束をしたから。

そして一切を忘れたはずの朧が再び意識してくれていることに自信を覚えていた。


「じゃあ伊能、頼んだぞ。俺たちも手伝いたいけどこの外見だとすぐ妖ってばれるからさ」


「承知しております。拙はしばらくの間人里に滞在します故、文のやりとりにて進捗状況をお伝えいたします」


初代の時代から一家総出で鬼頭家に仕えている伊能に絶大な信頼を置いている氷雨は、伊能を下ろした後、ふかふかの猫又の毛並みを撫でて楽しんでいた朧の脇を抱えて背中に乗せた。


「早く戻って来いって言ってたから帰ろうぜ」


「え、でも私…えっと…その…つ、疲れちゃったからどこかでゆっくりしたいです」


…明らかに嘘をついている。

にやっと笑った氷雨は、同じように猫又の背に乗り込みつつ、肩越しにちらりと振り返って様子を窺っている朧に顔を寄せた。


「ふうん、よく知らねえ男とゆっくりしたいだって?主さまに叱られるんじゃね?」


「だっ、大丈夫です!朔兄様たちはあなたを信頼しているみたいなので」


「ま、そりゃそうだな。あいつら俺が育てたようなもんだから」


「じゃあ…私もあなたに育てられたんですか?」


「もっちろん。身体の隅々まで知って…いてっ!痛いです!」


袖の上から思いきり腕をつねられて悶絶した氷雨だったが、悪い気はしていなかった。

伊能と合流したことにより、きっと事態は好転するはずだ。

誰もそれを疑ってはいなかった。
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