氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
朔は新婚旅行について一言も口を挟まなかった。

とにかく朧が満足するまで一緒に居てやってくれと言われて、この妹溺愛馬鹿はきっと死んでも治らないだろうなとはにかんでいた。


「お師匠様?」


「ん?あーいや、主さまのこと考えてた。本当に俺が居なくてもちゃんとできるのかなと思って」


こうして長期傍を離れることが今までなかったため、不安を覚えているのは氷雨も同じだ。

朔は几帳面な性格だが、がみがみ言う自分が居なくなったらもしかして自堕落な生活をするのではと危惧したものの、朧はそれを一笑した。


「朔兄様に限ってそれはありませんよ。真面目な方ですから」


「真面目!?俺が主さまたちが小さい頃どんだけ悪戯されたと思ってんの!?いや…思い出したくない…違う話をしよう」


朧車の中で膝枕をしてやりながらまた笑った朧は、御簾を少しだけ上げて外の景色を見た。

朔の言う通り猫又が護衛のため並走していて、目が合うとごろにゃんと鳴いて尻尾をふりふり。

結果的にはふたりきりではないのだが、兄の厚意に感謝している朧は氷雨の真っ青でさらさらな髪を撫でて顔を覗き込んだ。


「如月姉様の所に行くまでの間に大きな集落はないんですか?」


「あるけどどうする?寄ってくか?」


「はいっ」


「あとさあ、新婚旅行なんだから、その‟お師匠様”っていうのやめてくんねえ?弟子に手を出した師匠みたいな感じでなんか罪悪感…」


「え、でもそれ間違ってませんよね?」


「こいつ!とにかく!新婚旅行の間だけでいいから」


氷雨は真名を呼ぶととてもいい笑顔を見せる。

普段あまり呼ばないように心がけているのはその笑顔を見たいためでもあったが、もじもじした朧は小さな声で真名を呼んでみた。


「じゃあ……氷雨…さん?」


「おお…いいなそれ…」


白皙の美貌が少し恥ずかしそうにして笑うと、きゅんとした朧はすべすべての白い頬を撫でまくって新婚旅行のわくわくが止まらず、終始心躍らせていた。
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