その視界を彩るもの





あたしは何かを彼女に向けて叫んでいた。

直感が働いたから。そっちに行ったら駄目だって、そう感じたから。

でも彼女は振り向かない。そんな妹ちゃんの様子に、不思議なことにイサゾーやお母さんは気付かなくて。

どうして気付かないんだろう。

どうして呼び止めてあげないんだろう。

彼女が向かう先にはあんなにも暗雲が垂れ込めているのに、どうして。





「―――待っ、駄目……!!」

『ウイ!?』

「ッ」




いきなり眼球を襲った照明に思わずぎゅっと瞼を閉じる。

耳に入ったのは、イサゾーの声だった。それに気付いてしまえば、いつもの落ち着く匂いがあたしの鼻腔を擽り始めて。

おそるおそる瞼を持ち上げようとする。けれど、それよりもまず先に―――




「はっ、はっ、はっ」

『待って、落ち着いて!大丈夫、大丈夫だから。ここにはアンタとアタシしか居ないから』

「はっ、……」

『少し吸って、止めて、ゆっくり吐いて。……そうよ、その調子。安心していいから、ゆっくり呼吸してみなさい』

「………」

『そうそう、良い子ね』





何か言葉を発しようとすれば、瞬時に呼吸がその全てを奪っていって。

ぼやける視界に抗うように荒い呼吸ばかりを繰り返すあたしに、優しさの含んだイサゾーの声がじわりと傾いてくる。

その指示に従うようにゆっくりと、息を吐き出していくと。





「イサ、ゾー……」

『喋れるようになったら大分マシね。まだ焦らないで、ゆっくり、ゆっくりね』

「………」

『そうよ』





今までの苦しさが嘘のように和らいでゆくのを感じたから。

睫毛を伏せて水滴をおとせば、瞬時に目元を離れたそれが頬を濡らしたことを知った。




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