その視界を彩るもの
娘である梢は見たことのない類の笑顔を知らない女性に向ける父がいた。
甘く甘く、囁きをおとす父がいた。
限りなくスローに映りゆく視界の中で、父が首を傾げて女性と更に距離を詰め始めたことを知る。
「…………」
言葉なんて出なかった。
涙なんて形あるものも頬を伝うことはなかった。
重なった男女の影が意味することなんて、たった一つだけ。
それを尚も信じたくない梢の心臓は、胸の内を占める「嫌」という感情に迫り立てられるばかりで。
―――どくどくどくどく
早鐘を打つ。加速していく。
呆然と立ち竦む梢の前からは、気付けば父と女性は姿を消してしまっていた。