その視界を彩るもの
だからあたしは引き下がらない。
梢ちゃんの視線を感じていても振り返ることはしない。
頻りに背後を、兄であるイサゾーを心配する彼女が「初さんっ」と声を上げていても気が付かないフリをする。
ずんずん進んで漸くあの現場から離れた場所に辿り着く。
見れば辺りは閑静な住宅街の一画で。
「―――ッ、どうして逃げるんですか!初さん!!」
流石にこんなところで叫ばれたその言葉を聞かなかった振りにはできなかった。
今にも振り解けてしまいそうな梢ちゃんの手を再び強く握り締める。
離したら直ぐにでも戻って行ってしまいそうだったから。
ゆっくりと振り返ったあたしの視界に映る梢ちゃんの表情。
明らかに平常心を失っていて肩で大きく呼吸している。
梢ちゃんはイサゾーが族に入っていることを知らないから、こんなにも激昂しているのかもしれない。
あたしは知っているけれど、頻繁に今日みたいな場面を目にしている訳じゃない。
目の前で冷静さを欠いている梢ちゃんを見ているから、少しは落ち着いていられるのかもしれない。
「勇兄のことが心配じゃないんですか!?」
だからこうして、憤怒の形相で詰め寄る彼女を目の当たりにしても動じずに居られるのかもしれない。
自分でも驚くほど思考が冴え渡っていた。
反論しようと、宥めようとしても切羽詰まっている梢ちゃんは少しの猶予も与えてくれない。
「もしも勇兄があの人たちに何かされたらどうするんですかッ、」
「‥‥ごめんね」
小さく呟いたけれど、今の彼女にはきっと届いていないだろう。