その視界を彩るもの
家に帰るだけだったから、別にそう急ぐこともないと思い「各駅停車」を掲げる電車に乗り込んだ。
車内は急行のそれとは異なり比較的穏やかな空気が流れている。
視線を交差させては空いている席に腰を下ろしたあたしたち。ゆっくりと走り出した電車に揺られて、コツンとこめかみをイサゾーの肩にくっ付けた。
「‥‥もう四年か」
『最近そればっか言ってる』
「だって早いと思って。思えば喧嘩らしいケンカもしたことなくない?」
『それは悪いと思ったほうがすぐに謝っちゃうからじゃない?そんなにケンカしたいなら今からする?』
「いや、遠慮しときます」
笑み混じりにそう告げたあたしと、釣られるようにクスリと笑んだイサゾー。
何気なしに視線を上げるとここらでは比較的大きい駅に到着したらしく。
まだ目的の駅までは暫く掛かる。開いた扉から流れ込んでくる人波は疎らに空いている席を埋めていった。
そして全ての席が埋まったのと同時に乗り込んできたのは、ひとりの老齢なおばあさんで。
あのなだれ込む人波に混ざることはできなかったのかもしれない。
そんな風に漠然と思いを巡らせていれば、そのおばあさんが身を縮めて移動してくる。
運転席付近のコッチのほうが居やすいのは誰の目から見ても明らかだったから。
イサゾーの肩に預けていた頭を持ち上げたのは、無意識の内の行動だった。
『どうぞ』
凛と伸びたその声に思わず顔を上げて視線を向ける。
視界に映り込んだイサゾーは潔く立ち上がっておばあさんに席を譲ろうとしていた。
かのおばあさんは申し訳なさそうにこうべを垂らし「ありがとう」と口にしていて。
こんなにも沢山の人間が居る中でその行動を取ったのは、イサゾーただ一人だけだった。