その視界を彩るもの
「こご(此処)はなぁ、儂《わし》ら老人には格好の地だがぁ、梢ちゃあんみでぇに若い子には毒になることもぉある」
鼓膜を揺らしたアケタじいさんの声音。囲った腕の中で俯けていた顔をそろりと持ち上げて隣の爺さんを窺えば、その視線は変わらず水面に注がれたままだった。
「毒?」
「んだあ。他に若い子が居ないとぉ、梢ちゃあんだげの殻に閉じこもっちまうべぇ」
「…………」
「歳取ったらどうせぇ好ぎ勝手できんくなる。したらば見れる内にぃ外の世界を経験しておかねぇとぉ、」
言葉を句切ったアケタじいさん。
その視線の先を辿れば、水面で釣り糸がぐるぐる楕円を描いていることが判る。あ、魚だ、と思ったときには既に、それを手繰り寄せた爺さんによって一匹の魚が水飛沫をあげながら姿を現していた。
「後悔してもぉ、後戻りはでぎねえもんなぁ」
釣り上げた魚を、予め水の入れておいた錆御納戸のバケツに移したアケタじいさん。
その表情は反対側を向いている所為で窺うことは叶わなかったけれど、言葉の節々に滲む感情が爺さん本人の心情をこれ以上ないくらい表している気がして。
いつもなら、その変な見た目を私が揶揄ったりして笑いばかりの雰囲気に包まれるけれど。
今日ばかりは真面目な話をして、聞いて、お互いに共有したことで静寂が界隈を支配した。
でも不思議と気まずさは無くて。私も「そっか」と相槌を打つにとどめ、ただ広がる寂寞の空気に身を置いた。日が暮れる間際まで、ずっと。