実話怪談「鳴いた猫」
 数m先にある曲がり角を左に曲がればS山の入り口が見えてくる。黒いグローブをした手でハンドルを強く握り締めた。心臓がどくんどくん、と警報音のように胸のなかで響く。

――行かないほうがいい

本能が囁く。しかし、その警告を無視し、Kさんはペダルを漕ぎ続けた。好奇心の赴くままに。

 曲がり角を曲がると、坂道の先で深い闇が口を大きく開けて待ち構えていた。そのまま止まることなく、坂道を上っていく。進めば進むほど、ペダルを漕げば漕ぐほどに街の加護は薄れ、闇が濃くなっていくのを感じる。その暗さに目が慣れるのに、そんなに時間はかからなかった。



 ある地点を境に、Kさんは空気が明らかに変わったのを自身の肌で感じた、という。その刹那、冷気を感じ、思わずぞわっと鳥肌が立った。それは、冬のそれとはどこか違う冷たさのように感じた。
この感覚は初めてではなかった。以前に、別の心霊スポットへ行った時にも同じような感覚に襲われていた。まるで、そこから先に見えない別の世界が広がっていて、自分がそこへ今まさに足を踏み入れてしまったような、そんな例えようのない感覚。
そして、侵入者というものは得てして歓迎されないものである。

 坂道を上り切ると狭い駐車場があり、心許ない外灯がぽおっと一つ灯って場内を微かに照らしていた。そのさらに奥には火葬場へと続く道が見える。唯一、光に照らされたそこは聖域のような安心感を感じる。
車は当然のように一台も停まってなく、周囲からは人の気配も感じられない。Kさんはそこにスポーツバイクを停め、黒い丈夫そうなU字ロックで後輪とフレームを繋ぐようにして鍵をかける。口から吐き出される息が白煙となって、銀縁眼鏡のプラスチックレンズを一瞬くもらせた。
鍵をかけ終えると赤と白のストライプのヘルメットを脱ぎ、それをハンドル部分に適当に留めた。その後でボトルゲージに挿した赤いドリンクボトルを左手で取り出し、乾きかけた喉を潤す。

 ドリンクボトルをボトルゲージに戻して、Kさんは冷静に辺りを見渡した。やはり、誰もいない。駐車場の外灯以外に灯りも確認できない。
夜暗に支配された山は静寂に包まれ、不気味な雰囲気を醸し出していた。時折、常緑樹の青々と茂った葉の葉擦れの音がやけに大きく聞こえ、街路から微かに聞こえる車の走行音をかき消す。
「さてと、どうすっかなぁ~」
Kさんは駐車場を離れ、山の上へと続く急な坂道の前まで歩みを進める。
そこには、深海のように深い闇が静かに、妖しく広がっていた。月の煌々とした光も一切届かない。見る者全てに不安と恐怖を与える、本当の闇が目の前に在る。その向こうに何者かが潜んでいて、今にも足音が聞こえてきそうな、そんな気さえする。
< 2 / 6 >

この作品をシェア

pagetop