オフィスの野獣
近づかなければいい。傷つきたくないなら。
それは前野君の言う通りだとしても……。
夕陽が傾く頃に、人気のない会議室の前を通り過ぎようとすると、中から誰かの声がした。
普段なら気にもしないけど、微かに聞こえた声は、あの男に似ていた。
「……先輩。これ以上は……」
「どうしてお姉さんとは遊んでくれないの? ねえ、もう少しだけ……」
そんな会話が聞こえてくる。見なければいいのに、それでも開いているドアの隙間から覗き見る自分がいた。
そこを通り過ぎる間際に隙間から一瞬見えたのは、こんな腐った世間ではよくあることなのかもしれない。
西城斎と、制服がはだけた女性の背中。人目に隠れて抱き合う二人の姿――。
普段の私ならきっと見ないことにしたけれど、この時は酷く胸騒ぎを憶えた。
ほんの出来心で立ち止まった自分を、後悔した。
見なければよかった。知らなければよかった。そうすればきっとこんな気持ちも知らなくて済んだのに。