オフィスの野獣
映画の内容はよく覚えていない。私はなんでもよかったので、前野君のチョイスで流行りの洋画を見たが、主役の男がフラフラと女達の間を行ったり来たりして、胸糞悪いことしか特に印象はなかった。
「食後のアイスコーヒーです。ごゆっくりどうぞ」
映画館の近くのカフェに入って食事を済ませた。私はサンドイッチを頼んで、前野君は野菜カレー。二人とも食後にアイスコーヒーを注文した。
「怒ってる?」
不意に前野君が恐る恐る尋ねてきた。運ばれてきたアイスコーヒーにガムシロップを入れようとしたけど、彼に言い返した。
「何のこと?」
「映画。あんまり楽しそうじゃなかったから。すごい剣幕で主人公睨んでたし」
「そうだった? 前野君の気のせいじゃない。まあ三股かけてたあの男は地獄に落ちるどころか運命の相手とやらに出逢ってハッピーエンドみたいだけど」
どこかで聞いたような話に、ガムシロップをふたつも開けてしまった。どこかの誰かさんのオマージュのようですこと。反吐が出る。
「まあ、あれはクソみたいな映画だと思ったけど。ネットの評判はあながち信用ならないね。俺もちゃんと調べてなくてごめん。嫌だったでしょ」
「映画の内容はクソだったけど、前野君があれを作ったわけじゃないし別にいいよ」
「ハハッ。藤下さんが優しい人でよかったよ。でもお詫びに甘いものくらいは奢らせて」
そういえばここのデザートはなかなか凝っているようだった。
前野君がそういうなら甘んじようかな。前野君は結構いい人かもしれないと少し見直す。
目をつけていた苺のパフェを追加して、それを待っている間に前野君が思いきったように口を開く。
「怒るかもしれないけど、藤下さんって昔男に騙されたことがあったの?」
「は?」
「あ、やっぱり怒った?」
前野君が突然こんなことを訊いたのは、私が頑なに男性によそよそしい態度なのが気がかりなのだと。彼も会社ではなかなか聞くタイミングがなかったのだろう。
「そんな面倒な女をよく口説こうと思ったね」
「俺は単純に興味があったからだよ。藤下さんって会社では地味でどんな人かよくわかんなかったけど、飾ってなくて話しやすいし」
さらりと会社での悪口を言われたんだけど、褒められたのかこれは?
詮索好きな彼の言葉が、私にはどこまでが本気なのかはわからないけど、奢ってもらった分の報酬はあげようか。
「……よくある話だよ。子供の頃にガキ大将の男の子にいじめられてから、なんとなく避けてるだけ。こんな年齢だし、いつまでも嫌いなんて言えないかもしれないけど」
自分からは言いにくいことだったけど、前野君が納得してくれるならそれでいい。
前野君は目の前のアイスコーヒーにも手をつけず、真っ直ぐな目で私を見てくれる。
「藤下さんは、俺のこともそういう目で見てるの?」
優しい言い方だけど、悲しそうな、穏やかではないトーンで前野君は聞き返す。
「……そういう言い方は狡いから嫌い」
「あ、じゃあ今のなし」
都合のいい前野君とのやり取りは疲れる。
そんなところに、追加で注文したデザートが運ばれてくる。旬の苺がこれでもかと乗っかっていて、都会らしいおしゃれな逸品だ。
甘いものを前に目を輝かせる私に、前野君が提案する。
「撮ってあげようか?」
「そういうノリも嫌い」
「へーい」
私のノリの悪さに不貞腐れた前野君は横を向いた。そんなことはお構いなしに、一番上にある大粒の苺を口に咥える。
それと同時にどこからか、カメラのシャッター音がした。
「可愛い」
スマホの画面から視線をこちらへと向ける彼が、そうやって意地悪に笑う。今度は私が不貞腐れて睨みつけたが、彼は子供をあやすように今日一番の笑顔を見せた。
別に興味はなかったけど、前野君がどんな人なのかが、少しだけわかった気がする。