オフィスの野獣
息が上がって、心臓がバクバクしている。
雨に濡れる景色の中をひたすら走って逃げる。右も左も、自分がどこへ行こうとしているのかさえもわからなくなる。
だけどひとつだけわかるとしたら、あの人から逃げなければ。
私を捻じ曲げた人。
私のすべてを否定した人。
私の心に今も棲みつく恐怖を植え付けた人。
どうして。どうして。どうして。
もう二度と会うことなんてないと思ってた。
縺れる足を無理やり動かして遠くまで逃げようとしたから、裏路地に隠れたところで体力も身体中の恐怖も限界だった。
濡れた身体がズルズルと水溜りに崩折れる。冷たい泥が、スカートに滲んでくる。
「はあ……はあ……」
どこに逃げたらいいかわからない。
身体の震えが止まらない。
もうこれ以上、足が動かない。
ずっと忘れたかったはずなのに。
今もまだあの人の顔をちゃんと憶えている――。
「美弥子」
何年ぶりに聞いた声。
幼い耳にこびりついたその声を聞くだけで、吐き気と憎悪が口からえずいてくる。
身を潜めていた私を見つけたその人は、あの頃と変わらない目つきをしている。
「どうして俺から逃げるんだ、美弥子。お前はやっぱり悪い子だ」
15歳の時に私が施設に引き取られるまで、彼はその言葉で私を罵り続けた。
今も、私はその言葉に呪われたまま……。
「お……とお、さん……」