オフィスの野獣

 ——二週間前。

 心の古傷に沁みるような雨が、しとしとと降っていた。



 建物の狭い隙間に隠れて、息を潜めていた。
 古い建物の屋根が雨除けとなってくれる。路地の向こうに見える雨の景色は、シャッターを下ろしてまるで世界から私を取り残そうとしているよう。
 

 恐怖と寒さで、これ以上身体が動かなくなる。
 見つかるかもしれない恐怖で、肩の震えが止まらない。

 どこへ逃げても、きっとまた追ってくる。もう嫌だ。



 途方に暮れて、鉄筋コンクリートの壁に背中を預ける。濡れた衣服越しにゴツゴツした感触と、冷気が襲う。

 雨が止むまでここで身を潜めているしかないのかと、底知れない不安に自分の身体を抱きしめた。生きている心地がしなかった。


 自分を慰めるので精一杯だったのに、そこに誰かの足音がした。



「どうしたの?」


 雨に打ち消されるだけだったその声を、拾ってくれたのは彼だった。

 傘をさして偶然この路地を通りがかったらしい彼は、ずぶ濡れの格好でここに身を隠す私の顔を見て、少し驚いた反応をした。


「藤下さん……? どうしたの、それ……」


 会社でたまに見かけるだけのそいつの顔。
 その名前を知っていたのは、少し意外だった。

 それまでは特に話したこともないのに。



「この路地、近道なんだ。タオル貸すよ」


 西城斎は、何も聞かずに私に開いた傘を差し出した。
 反対の手には、奇しくもあのお店の白い箱を握りしめて。


 雨に溶けていく声を拾ってくれたのは、彼だけだった。
 そして路頭に迷う私は、その手を無碍に拒むような真似はできなかった。

< 42 / 50 >

この作品をシェア

pagetop