オフィスの野獣

 頭上で振り下ろされる拳より、あの雨の記憶を思い出して、涙がこぼれた。

 言葉を濁すのも、気にかけてくれたのも、クズなりに私を庇ってくれたんだなんて思うと、この胸が苦しくなるほど締めつけられた。


 なんだ。もうクズなんて言えないじゃない。



 助けてくれて、ありがとう……。





 目を閉じると、拳が振り下ろされるはずの頭上を風が切る。
 ふと違和感を感じて目を開けると、背中を支えられながら、頭から彼が着ていたダウンの上着をかけられる。


 今でもあの夜の夢を見ているようだ。



「おい、おっさん」


 庇うように彼の背中の陰に隠してくれる。 
 その人の顔は見えないけれど、その声が聞けただけで嬉しかった。

 期待なんかしてなかったのに、やっぱり涙が滲んでくる。


「いい年して女の子虐めるなんて、趣味悪いな」

 私を庇って雨に濡れながら、西城斎は殴り飛ばした相手にいつもと変わらない調子で言った。
 彼に殴られて地面に倒れ伏せたその人は、膝をついてこちらを睨みつける。


「なんだてめえ、この小僧が」

「あんたこそ、いつまで昔の女引きずってるんだよ。あんたの身勝手なやり方で、この娘は今まで苦しんできたんだぞ。もう自由にさせてやれよ」

 雨の中に彼の声が聞こえるけれど、きっと私のために怒ってくれているのだろう。
 そして私自身も、いつまでも過去を言い訳にはできないから。


「次は警察に突き出してやるからな」



 最後に見た父の泣きそうな顔を、私はこの先も忘れることはないだろう。



 雨の音に紛れて、二つの足音が遠ざかっていった。

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