オフィスの野獣
三年越しの失恋という結末を迎え、俺は傷心の身だった。
女も男も大抵は振り向かせてきた実績があるから、この散々な結果には胸を痛めた。
今晩は涙で枕を濡らそうか。
傘にあたる雨の勢いが強まるのを感じながら、近道をして帰ろうと暗い路地に入ったら、そこに人がいたから少し驚いた。
傘もささず、こんなところに。長い髪までびしょ濡れだ。
男にフラれてヤケになったか? 人のことは言えないけど。
ふと目が合ったその娘が、会社の同僚だったのでその場に固まってしまった。知り合いとか。しかもあんまり話したことない藤下さんとか。どーすんのこれ。
会社ではおとなしいという印象しかない。あんまり発言してるところとか見たことないし。
こんな娘が何かに感情をぶつけることがあるんだな。俺から冷たく逸らした目が腫れている。
俺みたいにこっぴどくフラれてここでひっそり泣いていたのかも。そんな彼女を見ていたら、勝手に仲間意識が生まれてしまった。
部屋でタオルを貸して、俺も濡れた身体を適当に拭いた。ベランダから外を窺うとまだしばらくは落ち着きそうにない。
失恋した日にさらに酷い仕打ちだと苦笑して、彼女の様子を窺えば、タオルで自分の身体を拭く気配もないので、どうしたのかと彼女の背中に問いかける。俺が声をかけると、彼女は強張る表情を見せて、俺から一歩下がった。震える声で藤下さんは言った。
――か、帰る。
――え? いや、今はダメだよ。外、大雨だし。大体なんであんなところに一人で……。
――あ、あんたみたいな女にだらしない男に、私の気持ちなんかわかるわけないでしょ。
ここまで面倒見たのに、随分と酷い仕打ちだな。失恋の傷から、俺もいつもより機嫌が悪い。
女の子相手にムキになって言い返すなんて、ロクなことがないってわかってるのに。
――はあ? そんな男の家にホイホイついてきたあんたはどうなんだよ。会社じゃおとなしくしといて、軽い女だね。藤下さん。
さすがに少し言い過ぎたと焦ったが、藤下さんは俺が思っていたよりずっと負けず嫌いらしい。会社での印象って当てにならないなあ。
不意打ちに彼女から押し倒されて、リビングの床に頭を打った。まじで意識飛ぶかと思った。そんなわけで俺の上に藤下さんが乗っかるというえげつないことに。
――わかってるわよ! わかってるけど……あのまま誰にも見つけてもらえないのが、怖かったのよ。昔のように震えて助けを待ってるなんて、もう嫌だったから……。
なんて……目も身体もビショビショに濡らして必死になるから、何も言えなくなる。俺の顔にポロポロと雨が降ってくる。
俺の胸で泣き崩れる彼女に言い返す気力もなくなった。
震える肩に気持ちばかりの手を添えて、なんとか自分の上体を起こしてその娘の背中を摩ってやれば時間をかけて落ち着いてくれた。
そこで彼女の詳しい話を聞くことができて、自分が咄嗟に吐いた言葉が死ぬほど恥ずかしくなった。
一回の失恋で彼女に八つ当たりして、自分がロクでもない人間だと思い知らされる。
どうしたらさっきの言葉を取り消せるかなんて俺にはわからないから、彼女の長い髪にタオルを被せて、せめて彼女のそばにいることくらいしか、俺には思いつかなくて。
シャワーはいらないと言う彼女にゆっくり唇を重ねて、雨で冷えきった身体をこの手で温めてあげることならできる。男が怖いと言う彼女に、精一杯この手で優しくするしか俺にできることはない。
それに、俺自身も、誰でもいいから誰かの人肌を感じていたかった。