オフィスの野獣
オフィスの野獣
「あー、彼女ほしー」
「合コン行こーぜ」
「そういや、前野。お前藤下さんとはどうなったんだよ?」
休憩所に隣接する喫煙所で、同じ職場の同僚達が話し込んでいる。
「ああ、ホテルまで行ったけど急に怖気づいちゃったみたいでさ。なんかもう冷めたよ」
「アハハ。ひでーなそれ」
前野君の声だ。あのデート以来話すこともすっかりなくなったけど、彼が同僚とこんな風に話すのは知らなかった。
彼らがいる喫煙所の隣で、私がたまたまそれを盗み聞きしているなんて思いもしないのだろう。咄嗟に彼らから見えないところに隠れたんだけど、この状況は最悪だ。
「あ、西城。お前も合コン行かね? 可愛い娘連れて来てよ」
もうひとつの足音が近いと思ったら、西城斎のものらしい。あいつは煙草は吸わないから、休憩所に寄る途中だったのか。
「俺はパス。彼女が泣いちゃうから」
「は? まじかよ、お前に彼女とか」
「どこのどいつだよ、それ」
同僚の二人が、興味津々で彼に詰め寄っている。自販機でココアを買っていただけなのに。今すぐここから消えたい。
「そこに隠れてる藤下さん」
「え?」
そこにいる西城斎以外が揃って声を漏らした。何をあっさりバラしてんだ貴様ーっ!
しかもこっそり隠れていたのがバレたという最悪な空気になってしまった。おのれ西城斎。
けれど、私よりも動揺を隠せない人がいたようだ。表情を引き攣らせながら、西城斎に詰め寄った。
「な、なんで藤下さんとお前が……?」
「すまないね、前野。別に俺の意見じゃないけど、キスばっかの男はつまんないんじゃないかな。どーんまい」
西城斎の口からどんどん最悪な空気になって、隠れたところで一人耳を塞いでいた。鼓膜が限界だ。
結局前野君のメンタルをボロボロにまで痛めつけてこの場から退場させてしまった。前野君のことが少し不憫に感じてしまう。
「いつまでそこに隠れてるの?」
彼らを蹴散らして飄々とした態度の西城斎が、私の視界に無理やり入ってきた。近い。
彼とはそういう関係だとしても、会社で顔を合わせるのはまだ慣れない。でもこうなれば色々文句を言いたくなる。
「どうしてバラしたの」
「別に隠すことじゃないから。嫌だった?」
この男はともかく、私の会社でのイメージが大きく崩壊する。しかも西城斎と。影でどんな噂をされることか。
「まあ、あれこれ言われるのは面倒かもな。気をつけるよ。ごめん」
彼も自分の立場は弁えているのだろう。
私を庇ってくれる彼の優しさに甘えて、ぬくもりに惹かれて、そんな彼だから、きっと初めての恋をした。
「でも、庇ってくれたのは嬉しかったよ。ありがとう」
触れられるのも怖くない。
全部、あなたが教えてくれたことだから。
たとえ目の前にいるのが、牙を隠した姑息な野獣であろうとまたあなたに触れたい。
「素直な美弥子が可愛すぎてこの後の仕事に集中できなかったらどうしよう」
「もうすぐ午後のミーティングだけど」
「二人でサボっちゃおっか」
そのクズなりの優しさの剣で、私の心を救ってくれた騎士なのだから。