シュガーレス
第9話 近づく別れの日
「仁科さんの初恋っていつ?」
堤さんとの件があってからやたらキョウヘイ君のことについて考えるようになった。どうして堤さんが彼の名を急に出してきたのかが気になって……本人に直接聞けばいいのだけど、あの日以来、業務に関する会話以外の話を一切していない。
「初恋かぁ」
例の喫茶店で仁科さんと過ごす時間。だいぶ慣れてきたし、彼と顔を合わせて他愛もない会話をすることが生活の一部のようにもなってきた。
「幼稚園の時。幼馴染のアイちゃんに」
「わ、名前まで。アイちゃんとはその後?」
「アイちゃんが親の仕事の都合でお引っ越しをしてその後の消息は謎……」
「ふふ、そんなもんだよね、初恋なんて」
堤さんの言動が気になり始めたのをきっかけに、忘れかけていたキョウヘイ君との思い出がみるみると蘇ってきた。甘酸っぱい初恋の思い出。きゅんとした胸のときめきを感じたのは何年ぶりだろう。
「どうしたの? 突然。というか前からよく初恋の話するよね」
「そんなことないよ」
「いーや、してる」
「そう、……だね」
私は今日もホットコーヒーをブラックで。仁科さんはミルクティーにたっぷりの砂糖を入れて。
「ちょっと最近色々あって、ふと思い出すことが多くてさ」
「へぇ」
「ちょっと、話してもいい? 誰かに話したい気分なんだ」
仁科さんは瞳を伏せ柔らかに微笑むと「どうぞ」と言った。
「彼が転校する日、告白されたんだ。夕暮れ時。オレンジ色に囲まれて照らす夕陽がまぶしかった」
「へぇ。なんだかロマンチック」
「アイちゃんは?」
「覚えてない……。たぶん何の挨拶もなかったんじゃなかったかなぁ……」
「普通そんなもんだよね?」
「わー、イヤミに聞こえるー」
お互いにクスクスと肩を揺らす。
「でも私、好きだったのに返事できなくて。だって今までは毎日会えたのに明日からは会えなくなるんだもん。だからこう言ったの。返事はまたいつか会えた時に、って」
「おぉ。なにそのドラマみたいな話」
「我ながら粋なことしたと思う。子供のくせに」
「ははっ」
「ま、結局再会なんて叶う訳もなく。今に至ってるんだけど」
コーヒーカップを両手で包む。まだ熱いや。
「もし、再会できたらどうするの?」
「うーん……二十年近くも会ってない人だから。性格も変わるだろうし……顔もね、やっぱ。変わってると思うし」
「性格も顔も当時の面影を残したまま。完璧な状態で再会できました。さて、どうする?」
「……うん。困る」
「え……?」
「今の私じゃ、返事……できないや」
仁科さんを困らせると分かっていても、これが正直な答えだった。
「何か、理由があるの?」
「……え?」
いつもだったら突っ込んで聞いてくることはしない仁科さんが珍しく聞いてきた。自分で話しておきながら追求されたら戸惑うなんて勝手な話だよね。
「珍しいね、聞いてくるなんて」
「福田さんとは話す機会多いし、それなりに打ち解けたかなって思うから」
「そっか」
「僕がこの短期間で人と打ち解けるなんて珍しいんだよ?」
「喜んでいいの? それ。というか、打ち解けたって思ってるの、仁科さんだけかもよ?」
「ショック」
「ははっ」
私の小さな笑い声と同じように仁科さんも笑った。
「似てるかも」
「……え? なに?」
思わず呟いたひと言。はっとして口を閉じたあと、思わず吹き出してしまった。二十年も前の少年の姿を仁科さんに重ねるだなんてどうかしてる。
「ごめん。続きはまた、時間のある時にでも」
「うん。あ、別に無理やり聞き出そうとしてるわけじゃないから。話したくないなら聞かないし」
「仁科さんらしい」
「らしいって。この短期間で僕の何を知ったって言うの?」
仁科さんは少しだけ意地悪な笑みを見せる。彼の言う通り、この短期間で彼のことで知れたことって数えらる程度だけど……彼の印象で第一に思い浮かぶのは。
「気を悪くしないでね。その……どこか見えない壁を作られていると言うか。陰があるって言うのかな……でも不思議と悪い印象ではなくて」
「壁も陰も。それは福田さんも同じだよ」
「たしかに」
クスリと笑い、同時に立ち上がる。そろそろ昼休憩も終わる時間だ。会社に戻ろう。
堤さんとの件があってからやたらキョウヘイ君のことについて考えるようになった。どうして堤さんが彼の名を急に出してきたのかが気になって……本人に直接聞けばいいのだけど、あの日以来、業務に関する会話以外の話を一切していない。
「初恋かぁ」
例の喫茶店で仁科さんと過ごす時間。だいぶ慣れてきたし、彼と顔を合わせて他愛もない会話をすることが生活の一部のようにもなってきた。
「幼稚園の時。幼馴染のアイちゃんに」
「わ、名前まで。アイちゃんとはその後?」
「アイちゃんが親の仕事の都合でお引っ越しをしてその後の消息は謎……」
「ふふ、そんなもんだよね、初恋なんて」
堤さんの言動が気になり始めたのをきっかけに、忘れかけていたキョウヘイ君との思い出がみるみると蘇ってきた。甘酸っぱい初恋の思い出。きゅんとした胸のときめきを感じたのは何年ぶりだろう。
「どうしたの? 突然。というか前からよく初恋の話するよね」
「そんなことないよ」
「いーや、してる」
「そう、……だね」
私は今日もホットコーヒーをブラックで。仁科さんはミルクティーにたっぷりの砂糖を入れて。
「ちょっと最近色々あって、ふと思い出すことが多くてさ」
「へぇ」
「ちょっと、話してもいい? 誰かに話したい気分なんだ」
仁科さんは瞳を伏せ柔らかに微笑むと「どうぞ」と言った。
「彼が転校する日、告白されたんだ。夕暮れ時。オレンジ色に囲まれて照らす夕陽がまぶしかった」
「へぇ。なんだかロマンチック」
「アイちゃんは?」
「覚えてない……。たぶん何の挨拶もなかったんじゃなかったかなぁ……」
「普通そんなもんだよね?」
「わー、イヤミに聞こえるー」
お互いにクスクスと肩を揺らす。
「でも私、好きだったのに返事できなくて。だって今までは毎日会えたのに明日からは会えなくなるんだもん。だからこう言ったの。返事はまたいつか会えた時に、って」
「おぉ。なにそのドラマみたいな話」
「我ながら粋なことしたと思う。子供のくせに」
「ははっ」
「ま、結局再会なんて叶う訳もなく。今に至ってるんだけど」
コーヒーカップを両手で包む。まだ熱いや。
「もし、再会できたらどうするの?」
「うーん……二十年近くも会ってない人だから。性格も変わるだろうし……顔もね、やっぱ。変わってると思うし」
「性格も顔も当時の面影を残したまま。完璧な状態で再会できました。さて、どうする?」
「……うん。困る」
「え……?」
「今の私じゃ、返事……できないや」
仁科さんを困らせると分かっていても、これが正直な答えだった。
「何か、理由があるの?」
「……え?」
いつもだったら突っ込んで聞いてくることはしない仁科さんが珍しく聞いてきた。自分で話しておきながら追求されたら戸惑うなんて勝手な話だよね。
「珍しいね、聞いてくるなんて」
「福田さんとは話す機会多いし、それなりに打ち解けたかなって思うから」
「そっか」
「僕がこの短期間で人と打ち解けるなんて珍しいんだよ?」
「喜んでいいの? それ。というか、打ち解けたって思ってるの、仁科さんだけかもよ?」
「ショック」
「ははっ」
私の小さな笑い声と同じように仁科さんも笑った。
「似てるかも」
「……え? なに?」
思わず呟いたひと言。はっとして口を閉じたあと、思わず吹き出してしまった。二十年も前の少年の姿を仁科さんに重ねるだなんてどうかしてる。
「ごめん。続きはまた、時間のある時にでも」
「うん。あ、別に無理やり聞き出そうとしてるわけじゃないから。話したくないなら聞かないし」
「仁科さんらしい」
「らしいって。この短期間で僕の何を知ったって言うの?」
仁科さんは少しだけ意地悪な笑みを見せる。彼の言う通り、この短期間で彼のことで知れたことって数えらる程度だけど……彼の印象で第一に思い浮かぶのは。
「気を悪くしないでね。その……どこか見えない壁を作られていると言うか。陰があるって言うのかな……でも不思議と悪い印象ではなくて」
「壁も陰も。それは福田さんも同じだよ」
「たしかに」
クスリと笑い、同時に立ち上がる。そろそろ昼休憩も終わる時間だ。会社に戻ろう。