シュガーレス
 事務所に戻る前にトイレに寄ると、あの例の苦手な後輩女子社員と鉢合わせる。
 顔を合わせるなり「お疲れ様」と声を掛けられ、同じようにお疲れ様と返事をしてすれ違って立ち去って……行けばいいのに、彼女は立ち止まった。今日は何だ?
「新ブランド企画、いよいよ堤さんと幸田さんの一騎打ちですね」
 幸田さんは堤さんの一つ年上の同じ部署に勤める社員だ。
 堤さんと幸田さんの二組が部長レビューをクリアして、残すところは事業部長を含めた管理職以上の人間で開かれる会議で勝者が決定する。
「うん、応援してね」
 私ではなく堤さんを、ね。付け加えなくとも分かっているだろう。でも彼女からの返事は意外なものだった。
「そうしたいところなんですけど、それは出来ません」
「え?」
「だって、堤さんの企画が通っちゃったら、彼、NY支社への異動が決まるみたいだし」
「……え」
「部長と約束してるんですって。今回勝ち抜いて企画を通すことができたら念願のNY支社へ行かせてもらうって」
 後輩の「もしかして、知らないんですか?」の言葉にただ無言で表情は固まり何も反応を見せることも出来なかった。
「って、そんなわけないですよね~」
 反応のない私を無視し勝手に納得して、鏡に映った自分をじっと見つめながら髪をいじっている。
「でも海外転勤はステータスとしては申し分ない。昇進への近道になるし。ん~……複雑だなぁ」
 呆然と立ち尽くす私に振り返った後輩が言い放つ。
「NYに行っちゃう前に、モノにしちゃえばいいのかな。そうですよね?」
 はっきりとした返事が出来ないまま曖昧に頷くと、後輩はにっこりと余裕のある笑みを見せ立ち去って行った。 
 「もしかして、何も知らないんですか?」。
 知らないよ、何も知らないよ。
 ニューヨークへの転勤の件もだし。部長と約束してるって……海外に行きたいと言う願望があったことも何も、私は知らないよ。
 もう、止めにしよう。
 こんな意味のない言葉を繰り返さなくても、堤さんとの関係が終わる日はやっぱり近づいているのだ。

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