シュガーレス
第11話 記憶の空白
ドアを閉めて一息つく。
玄関で背を向けたままの堤さんに「何しに来たの?」と問いかけるとゆっくりとこちらへと振り返った。
「悪かったな、邪魔して」
「邪魔って……。あのさ、この間から何か勘違いしてるみたいだけど彼はただの友達だよ? 仁科さんって言って……キョウヘイ君じゃないよ」
「……え?」
小さな驚きの表情を見せる堤さんの表情から、やっぱり仁科さんをキョウヘイ君と勘違いしていたことは間違いなさそうだ。
次々に浮かぶ疑問をそのままぶつけた。
「なんで彼をキョウヘイ君だと? というか、なんでキョウヘイ君知ってるの……?」
「なんでって。やっぱ、覚えてないか」
「……え?」
堤さんの口ぶりから自分から話したことが分かる。でも、いつどこで? 記憶がない。だいたい、キョウヘイ君の存在をはっきりと思い出したのはつい最近なのに……。
靴を脱ぎ部屋の中へ進みながら会話を続ける。
「ちょうど一年くらい前か。去年の、新年会」
「それって……」
翌日が休みだからと二次会、三次会まであった日。上司にあおられ飲み過ぎた私は最後なぜか堤さんと二人きりだった。
家まで送ってもらった記憶はある。次に意識がはっきりしたときはベッドの上で抱き合っててそのまま……。
去年の新年会。あの日は私たちの関係が始まった日だ。
「三次会でスナックにいたとき」
「……スナック」
「覚えてない? 部長の馴染みのママが経営するとかいう古いスナックでさ。おまえ、無理やり連れて行かれて……結局、演歌しか入ってないカラオケで上の人たちだけで盛り上がってたよ」
「なんとなく……覚えてはいるけど」
「俺はスナックの隅っこで酔った実希子の世話」
「……」
「意識はあるんだけどさ。会話は出来るようで出来ないと言うか……普通に話せることもあるけど、質問にまったく見当違いのことが返ってきたりで。なんだったの?」
「ごめん、それは覚えてない……」
「相当飲まされてたもんな。おまえ、酔うと面倒だよな」
返す言葉がなく沈黙。それた会話を堤さんが戻す。
「そんな状態のおまえとさ、好きな異性のタイプの話になって」
「……私が聞いたの?」
「あぁ。どんな人が好きなんですか? って」
覚えていないとはいえ、恥ずかしい。聞いてどうするつもりだったんだろ。
……でもあの時は、知りたかったのだと思う。
「でもおまえ、聞いておきながらベラベラと自分のこと話しだしてさ。まともに話せないくらいに酔ってるくせに、好きな男のタイプを語りだしたらやけに具体的だった。まるで、誰かを思い浮かべてそいつの特徴を話しているみたいに」
「うそ……」
「それで最後、はっきりとフルネームでキョウヘイ君って言った。苗字はなんて言ってたか忘れたけど」
嘘だ……。
口からも、頭の中で呟く言葉も同じだった。
だって最近まで、あのアルバムに挟まった写真を見つけるまで存在すら忘れてた人だったのに。
「無意識、か。でも無意識に名前が挙がるって。相当好きなのか、未練があるのか……なに? 元彼? それともただの一方通行の相手?」
「……関係、ないじゃん」
「さっきの男のこと? あ、でもさっきの奴はキョウヘイ君じゃないんだっけ」
遠い昔の、子供の頃の初恋の相手の名前だと言って、信じてもらえるだろうか。
でも信じる信じないより、そんな遠い昔の恋を無意識に思い出してこの人に語っていた自分が恥ずかしすぎて真実を語ることをためらった。
「とにかく。さっきの人は、友達」
「実希子、友達いたっけ? そんな奴がいきなり男の友達を作ったって?」
「彼は、話やすくて。波長が合うと言うか……」
「ふーん。仲が、いいんだな」
どこかトゲがある言い方に苛立ちを感じた。
「私がどこで誰と何をしてようが勝手じゃない。そっちだって。……さっき見たよ。会社の女の子と……」
「たまたま会社を出る時間が一緒だっただけだよ」
「今日バレンタイン……」
「あぁ、告白された」
頭に血が上るのを感じて冷静になろうと必死に自分を抑え込んだけど、口を開かずにはいられなかった。
「そう、そうだよね。NY支社行きのこと、打ち明ける仲だもんね」
「それ」
「別に何しようが勝手だけどさ、恥かいちゃったよ。一応仕事上では一番近い存在なのに、NY行きのこと知らなくて」
「実希子には、決まってから。現実味を帯びてからちゃんと話そうと思ってた」
「意味わかんない。決まってからって。なんの心の準備もさせてもらえないままいなくなっちゃおうってしてたってこと? そうだよね、私たちの関係ってその程度の……」
薄い、首の皮一枚で繋がっているような関係だもんね。恋人でもなければ友達でもない。でも仕事のパートナーとして自分の出来ることは精一杯してきたつもりなのに。そうか、もう、ただの先輩と後輩の仲でもないんだ。
やば……泣きそう。
何の涙? 悔し涙?
奥歯を噛みしめ耐えながら俯いていると、目の前に影が出来て突然抱きしめられた。
「なっ!?」
このまま押し倒すつもり?
「やだ、そんな気になれない……離してよ!」
「実希子、おまえも一緒にニューヨークへ行こう」
「……は?」
「企画が通れば俺だけじゃない、実希子の功績でもある。部長に頼めば……」
「なに言って……」
「無理なら会社を辞めて一緒に行こう」
「いきなり意味わかんない!」
声を荒げる私を抱く腕に一層強く力が込められる。
「そうすれば、おまえが忌み嫌う家族から解放される」
私の家庭の事情を知る堤さんから出た思いもしなかった言葉に、突然なんなのという苛立ちを感じて、ドン、と強く目の前の胸を叩いた。
それでも彼の身体はびくりともしなかった。それがまた気に喰わなくて、私の瞳はじんわりと潤む。
玄関で背を向けたままの堤さんに「何しに来たの?」と問いかけるとゆっくりとこちらへと振り返った。
「悪かったな、邪魔して」
「邪魔って……。あのさ、この間から何か勘違いしてるみたいだけど彼はただの友達だよ? 仁科さんって言って……キョウヘイ君じゃないよ」
「……え?」
小さな驚きの表情を見せる堤さんの表情から、やっぱり仁科さんをキョウヘイ君と勘違いしていたことは間違いなさそうだ。
次々に浮かぶ疑問をそのままぶつけた。
「なんで彼をキョウヘイ君だと? というか、なんでキョウヘイ君知ってるの……?」
「なんでって。やっぱ、覚えてないか」
「……え?」
堤さんの口ぶりから自分から話したことが分かる。でも、いつどこで? 記憶がない。だいたい、キョウヘイ君の存在をはっきりと思い出したのはつい最近なのに……。
靴を脱ぎ部屋の中へ進みながら会話を続ける。
「ちょうど一年くらい前か。去年の、新年会」
「それって……」
翌日が休みだからと二次会、三次会まであった日。上司にあおられ飲み過ぎた私は最後なぜか堤さんと二人きりだった。
家まで送ってもらった記憶はある。次に意識がはっきりしたときはベッドの上で抱き合っててそのまま……。
去年の新年会。あの日は私たちの関係が始まった日だ。
「三次会でスナックにいたとき」
「……スナック」
「覚えてない? 部長の馴染みのママが経営するとかいう古いスナックでさ。おまえ、無理やり連れて行かれて……結局、演歌しか入ってないカラオケで上の人たちだけで盛り上がってたよ」
「なんとなく……覚えてはいるけど」
「俺はスナックの隅っこで酔った実希子の世話」
「……」
「意識はあるんだけどさ。会話は出来るようで出来ないと言うか……普通に話せることもあるけど、質問にまったく見当違いのことが返ってきたりで。なんだったの?」
「ごめん、それは覚えてない……」
「相当飲まされてたもんな。おまえ、酔うと面倒だよな」
返す言葉がなく沈黙。それた会話を堤さんが戻す。
「そんな状態のおまえとさ、好きな異性のタイプの話になって」
「……私が聞いたの?」
「あぁ。どんな人が好きなんですか? って」
覚えていないとはいえ、恥ずかしい。聞いてどうするつもりだったんだろ。
……でもあの時は、知りたかったのだと思う。
「でもおまえ、聞いておきながらベラベラと自分のこと話しだしてさ。まともに話せないくらいに酔ってるくせに、好きな男のタイプを語りだしたらやけに具体的だった。まるで、誰かを思い浮かべてそいつの特徴を話しているみたいに」
「うそ……」
「それで最後、はっきりとフルネームでキョウヘイ君って言った。苗字はなんて言ってたか忘れたけど」
嘘だ……。
口からも、頭の中で呟く言葉も同じだった。
だって最近まで、あのアルバムに挟まった写真を見つけるまで存在すら忘れてた人だったのに。
「無意識、か。でも無意識に名前が挙がるって。相当好きなのか、未練があるのか……なに? 元彼? それともただの一方通行の相手?」
「……関係、ないじゃん」
「さっきの男のこと? あ、でもさっきの奴はキョウヘイ君じゃないんだっけ」
遠い昔の、子供の頃の初恋の相手の名前だと言って、信じてもらえるだろうか。
でも信じる信じないより、そんな遠い昔の恋を無意識に思い出してこの人に語っていた自分が恥ずかしすぎて真実を語ることをためらった。
「とにかく。さっきの人は、友達」
「実希子、友達いたっけ? そんな奴がいきなり男の友達を作ったって?」
「彼は、話やすくて。波長が合うと言うか……」
「ふーん。仲が、いいんだな」
どこかトゲがある言い方に苛立ちを感じた。
「私がどこで誰と何をしてようが勝手じゃない。そっちだって。……さっき見たよ。会社の女の子と……」
「たまたま会社を出る時間が一緒だっただけだよ」
「今日バレンタイン……」
「あぁ、告白された」
頭に血が上るのを感じて冷静になろうと必死に自分を抑え込んだけど、口を開かずにはいられなかった。
「そう、そうだよね。NY支社行きのこと、打ち明ける仲だもんね」
「それ」
「別に何しようが勝手だけどさ、恥かいちゃったよ。一応仕事上では一番近い存在なのに、NY行きのこと知らなくて」
「実希子には、決まってから。現実味を帯びてからちゃんと話そうと思ってた」
「意味わかんない。決まってからって。なんの心の準備もさせてもらえないままいなくなっちゃおうってしてたってこと? そうだよね、私たちの関係ってその程度の……」
薄い、首の皮一枚で繋がっているような関係だもんね。恋人でもなければ友達でもない。でも仕事のパートナーとして自分の出来ることは精一杯してきたつもりなのに。そうか、もう、ただの先輩と後輩の仲でもないんだ。
やば……泣きそう。
何の涙? 悔し涙?
奥歯を噛みしめ耐えながら俯いていると、目の前に影が出来て突然抱きしめられた。
「なっ!?」
このまま押し倒すつもり?
「やだ、そんな気になれない……離してよ!」
「実希子、おまえも一緒にニューヨークへ行こう」
「……は?」
「企画が通れば俺だけじゃない、実希子の功績でもある。部長に頼めば……」
「なに言って……」
「無理なら会社を辞めて一緒に行こう」
「いきなり意味わかんない!」
声を荒げる私を抱く腕に一層強く力が込められる。
「そうすれば、おまえが忌み嫌う家族から解放される」
私の家庭の事情を知る堤さんから出た思いもしなかった言葉に、突然なんなのという苛立ちを感じて、ドン、と強く目の前の胸を叩いた。
それでも彼の身体はびくりともしなかった。それがまた気に喰わなくて、私の瞳はじんわりと潤む。