シュガーレス
 テーブルに顔を伏せて堤さんに家族のことを打ち明けた日を思い出していた。時計を確認。まだ日は変わっていない。
 堤さんは結局何が言いたかったのだろう。一緒にニューヨークへ来いだとか、戯言にしか思えない。
 行動も謎だらけで、私をきつく抱き締めたあと、何もせず無言で立ち去った。
「なんなんだよう……もう」 
 気になって、ベッドに入れない。嫌なことを思い出して安心して眠りにつくことも出来ない。誰かに、聞いて欲しい。
 頭に思い浮かぶ人物をめざして、私は勢いよく立ち上がると外へと飛び出した。

 仁科さんの自宅へは一度だけ入ったことがある。よく立ち寄るコンビニの上のマンション。場所は忘れるはずもない。
 インターホンを目の前に一瞬だけ押すのをためらった。彼に会って何か解決することがあるだろうか。話を聞いてもらってその先は……?
 ここまで来て迷ってても仕方ない。ごくりと息を飲み込んで意を決してインターホンを押した。
 ドアを開け現れた仁科さんは、驚くそぶりも見せず「どうぞ」とだけ告げ私を部屋へと招き入れた。
「てっきり、あの彼と朝まで一緒かと思ったのに」
 部屋の中まで行って向かい合うと「どうしたの?」と言った。
「分からなくて……」
「分からない?」
「いきなり変なこと言うの。一緒にニューヨークにこいだとか、私の家庭の事情を持ち出して……」
 まるで、私のことを思ってニューヨークに一緒に来いって言っているみたいな言い方だった。
「なんか、どういうつもりなのか全然分からなくて……!」
 動揺を露にする私の声だけがしんとした部屋に響き渡る。はっとして「いきなり来て、突然こんなこと……ごめん」と謝った。
「福田さん、今嬉しいの?」
「え?」
「彼に一緒に来いって言われて、嬉しいの?」
「嬉しくなんか……。どっちかと言うと、意味が分からなくて、何を考えてるんか分からなくて……苦しい」
 目の前に影が出来て、仁科さんを見上げる。いつもと同じ涼しげな表情。でも、口の端を柔らかにゆっくりと上げた。
「どきどきしたり、喜びを与えてくれるものだけが恋じゃないよ」
「え……?」
「苦しくて切ない恋もあるんじゃないかな。そっちのほうが思いも深くて、本気だったりしない? ……今の、僕みたいに」
 今の僕ってどういう……
 疑問に首をかしげる前に再び仁科さんが言った。
「結局、二人が素直じゃないだけなんじゃないの? どうしてこんな風になっちゃってるのかが不思議で仕方ないよ」
「ま、待ってよ。その言い方じゃまるで」
 私たちが互いに思いあっているみたい……
「違うの?」
「向こうは、私のことなんて」
 告白されたとか、言っていたし。
「彼の気持ちは取り合えず置いておいてさ、福田さんの気持ちはどうなの?」
「わからない……」
「嘘だね」
 はっきりと言い放つ仁科さんの声が響き渡る。
「じゃあ、キョウヘイ君と比べてみよう」
「……え」
「あの時の返事、聞かせてくれる?」
 不可解な言動。
 向かい合った仁科さんの表情は冗談を言っているようには見えない。

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