シュガーレス
第14話 甘い熱
心地よいまどろみから覚めるといつもはひんやりと冷たいシーツの感触が今日は温かい。隣に誰かがいるだけでこんなにも違うものなんだ。
「今日は帰れって言わないんだ」
目が覚めて一言目がこれって。
「いつも言わなくても帰るって言って帰るの、おまえじゃん」
我ながら可愛くない。でも「いつもの実希子だ」の言葉に小さく笑って一瞬和むと、ふとさっきまでの自分の行動を思い出して硬直。……思い出したくない恥ずかしいことをたくさん言ってしまったような気がする。
「俺に言ってやりたいことがたくさんあるみたいだし?」
「……もういいよ」
シーツにうつぶせに顔をおしつける。
自分の気持ちは伝えられたと思う。私にしては上出来。一生分の勇気を使い果たした気分で満足して放心状態。
「おまえが配属されてきた日のこと、よく覚えてるよ」
「……結構前だね。六年?」
「周りの新人は緊張した面持ちで初々しい雰囲気なのに、一人だけ涼しい顔して落ち着いて、初々しさのカケラもなく……」
「悪口?」
「見た目はごく普通の二十代前半の女なのに話してる姿はお局様の貫禄があって……」
「……悪口だね」
「その他人を受け入れない性格に問題があってさ。でも生意気だって言われても気にするそぶりも見せず、仕事で見せて年上の人間にイヤミを言わせない姿は格好いいと思ったよ」
「褒めてる?」
「結局おまえにつらく当たってた年上の女はみんな先に辞めていったっけ」
「私は簡単に仕事を辞めるわけにはいかなかったもの」
一日でも早く学費を返したかったし、一人で暮らして行かなきゃいけなかった。だから周りに何を言われても気にしている心の余裕もなかったから当時は割と平気だったと思う。
「いつも凛として多少のことじゃ動じないおまえが、陰で泣いていたなんて誰も思わないよな」
「なっ……」
泣いていた……?
あぁ、言われてみればそんな時期もあったかもしれない。平静を装っていても本当は悔しいことがたくさんあってこっそり泣いていたことも。……バレていたなんて。
「仕事で接する機会ってほとんどなかったし口もほとんど聞いたことなかったけど、俺の中で結構な存在感を放っていたっけ」
私も、堤さんの存在は知っていた。話したことはほとんどなかったけど、自然と目で追ってしまう。そう、どんな人かもよく分からず、雰囲気と仕事をする姿だけを見てあの頃はただ憧れていた。
「でも二年前の組織改革でたくさんの社員の異動があって新たなチーム編成が組まれたとき、実希子と一緒になった」
「うん」
「毎日顔を合わせているのに、こんなにも打ち解けない人間この世にいるんだ。そう思った」
「……どーもすみません」
「移動中に軽く「彼氏いるの?」って聞いたら「それは業務に関係ありますか」って返されたときは正直引いた」
「だからごめんって!」
シーツを手繰り寄せて深く顔を埋める。よく覚えている。だって、急にそんなこと聞いてきたから……
「一年かけてゆっくり、ようやく普通にしゃべってくれるようになった頃。自分自身のこともようやく聞かなくても話すようになってきて。俺自信あったんだよなぁ。俺には心を開いてくれてるって」
自分自身のこと。家族のことを話したりしたことを差しているのだと思う。身体を横向きに起こした堤さんが、ベッドに頬杖をついてじっとこちらを見下ろす。
「小さな表情や感情の変化にも気が付くようになった。意外と分かりやすいなと思った。実希子も、俺に惚れてるんだろうなって」
「「も」って……」
堤さんの指が頬に触れて照れくささに目を逸らした。
「俺はたぶん、ずっと好きだったよ。いつからかとかもう分かんないくらい前から。生意気なおまえを初めて見た時かもしれないし、泣いてる弱い一面を見ちゃった時かもしれないし」
「……嘘だ。特別な態度は全然感じなかった」
今思えば、密かに憧れてきた人が急に近い存在になって、それだけで満足して、自分には十分すぎることだと思っていたから堤さんと恋愛関係になるとかそんな大それたこと、夢に見ることさえしなかった。
素がどんな人かってこともあまり知らなかったから、自分に接する態度のすべてが新鮮で、たとえ好意を持った態度で接してくれていたとしても気づくわけがなかった。
「やっぱりなー。俺、あんなにも自分からアプローチしたの生まれて初めてだったんだけど。でも全然気づかないし、むしろ逃げるし、素っ気ないし。やっと努力が実を結んで俺のことを意識するようになったって確信して、いつモノにしてやろうかと思っていた時に」
「……」
「キョウヘイ君」
「だからそれは……その」
「突如現れた男の存在に、嫉妬したよ。おまえ男っ気全くなかったから余計に重くのしかかってきた」
堤さんの一言一言が、なんだか信じられない。アプローチされていたなんて。嫉妬させていたなんて。
……想われていたなんて。
「酔っぱらったおまえを家まで送り届けてさ。このまま何もせず帰ることなんてできないと思った」
「……」
「おまえベロベロに酔ってたし、何か一つ痕でも残して関係を持ったと勘違いさせて意識させることくらいできないかって卑怯なことばかりを考えていた」
「……勘違いどころか」
「本気でやってやろうなんて思ってなかったよ。でもキスしたら止まらなくなって、おまえもやけに積極的……」
「ヒトのせいにしないでくれるかな? ……覚えてないんだから」
「ほんとに覚えてない?」
「……途中、からは」
「意識があるのは分かってた。だから余計に止められなくなった。拒否しないんだ、嫌がらないんだ。やっぱり脈、あるのか? って」
堤さんは身体を仰向けに倒して天井を見上げた。
「確認も含めてすぐにちゃんと話をしようと思ったけど、別の男の存在が邪魔して、本音で迫って実希子に拒否されたらと思うと出来なかった。仕事も忙しかったし、そっちに逃げて、身体だけの寂しい繋がりでも、繋ぎ止めておけるのならしばらくこのままでもいいと思った。不完全な形でも、長年追い求めてきた女をやっとこの手に抱くことが出来たんだ。でも、やっぱりそれだけじゃ満足できなくて。どうしたらおまえの全部を俺のものに出来るかって最近はずっと考えてた」
胸の奥がジンジンと熱い。
今の感情を言葉で表すのなら、素直に嬉しいという気持ちと……
「ずいぶんと、遠回りしちゃったんだ」
どうしてもっと早くに自分の気持ちに素直になれなかったのだと言う後悔。堤さんが言わないなら私が一言好きだと言えていたら今とは全く違った今日があったのかな。
でもその後悔も、今日と言うこの日を、今までの日々を帳消しにするような甘く胸がときめくひと時に変えられればすぐに消えてしまうはず。
「人と打ち解けるのが苦手だっていうのはあるけど。本当はあそこまで酷くはないよ。……相手があなただったから。だから毎日緊張してうまく話せなかった」
彼の気持ちは分かった。あとは私次第。
私は身体を起こして、仰向けに横になっている堤さんの顔を覗き込むようにして身を寄せた。
「気持ちを押し殺して分かんなくなってた時期もあったけど、私の方がずっと好きだったんだから。こっちだっていつからかもう分からないくらい前から、好きだったんだから」
こちらに向けられるひたむきな視線。その目に見つめられるだけで胸が高鳴る。懐かしいこの気持ち。
「反則。そんな可愛いこと言われたら、帰れって言えねーじゃん」
「……帰らすつもりなの」
ふっと吹き出す気配と同時に後頭部に回った手に引き寄せられて、耳元に「嘘だよ」といじわるっぽく言う声が響く。
そしてぎゅっと頭ごと包むようにして抱きしめられる。
「帰さないし、朝まで離す気ないけど」
自分の一生の中で、こんなにも胸がときめく甘いひと時が訪れる瞬間を想像したことがあっただろうか。
唇に堤さんの指が触れ、触れられるだけで甘いざわめきなようなものが自分の中で生まれる。
「口、開いて」
甘い誘惑に、彼の言う通りに口を開けば繰り返される深いキスに気が遠くなる。
キスをしながら堤さんの手が私の身体に触れる部分が熱い。
「もっと……っ、触って……」
感情まで熱に融けて夢をみているような気分。無意識に口から出た言葉はわたしが甘い熱に酔っている証拠。
甘いものは大嫌いだし、甘い言葉も、甘いひと時も、いざ自分がその中に放り込まれたら胸やけをおこすか戸惑うかのどちらかと思ったのに……クセになりそう。
「今日は帰れって言わないんだ」
目が覚めて一言目がこれって。
「いつも言わなくても帰るって言って帰るの、おまえじゃん」
我ながら可愛くない。でも「いつもの実希子だ」の言葉に小さく笑って一瞬和むと、ふとさっきまでの自分の行動を思い出して硬直。……思い出したくない恥ずかしいことをたくさん言ってしまったような気がする。
「俺に言ってやりたいことがたくさんあるみたいだし?」
「……もういいよ」
シーツにうつぶせに顔をおしつける。
自分の気持ちは伝えられたと思う。私にしては上出来。一生分の勇気を使い果たした気分で満足して放心状態。
「おまえが配属されてきた日のこと、よく覚えてるよ」
「……結構前だね。六年?」
「周りの新人は緊張した面持ちで初々しい雰囲気なのに、一人だけ涼しい顔して落ち着いて、初々しさのカケラもなく……」
「悪口?」
「見た目はごく普通の二十代前半の女なのに話してる姿はお局様の貫禄があって……」
「……悪口だね」
「その他人を受け入れない性格に問題があってさ。でも生意気だって言われても気にするそぶりも見せず、仕事で見せて年上の人間にイヤミを言わせない姿は格好いいと思ったよ」
「褒めてる?」
「結局おまえにつらく当たってた年上の女はみんな先に辞めていったっけ」
「私は簡単に仕事を辞めるわけにはいかなかったもの」
一日でも早く学費を返したかったし、一人で暮らして行かなきゃいけなかった。だから周りに何を言われても気にしている心の余裕もなかったから当時は割と平気だったと思う。
「いつも凛として多少のことじゃ動じないおまえが、陰で泣いていたなんて誰も思わないよな」
「なっ……」
泣いていた……?
あぁ、言われてみればそんな時期もあったかもしれない。平静を装っていても本当は悔しいことがたくさんあってこっそり泣いていたことも。……バレていたなんて。
「仕事で接する機会ってほとんどなかったし口もほとんど聞いたことなかったけど、俺の中で結構な存在感を放っていたっけ」
私も、堤さんの存在は知っていた。話したことはほとんどなかったけど、自然と目で追ってしまう。そう、どんな人かもよく分からず、雰囲気と仕事をする姿だけを見てあの頃はただ憧れていた。
「でも二年前の組織改革でたくさんの社員の異動があって新たなチーム編成が組まれたとき、実希子と一緒になった」
「うん」
「毎日顔を合わせているのに、こんなにも打ち解けない人間この世にいるんだ。そう思った」
「……どーもすみません」
「移動中に軽く「彼氏いるの?」って聞いたら「それは業務に関係ありますか」って返されたときは正直引いた」
「だからごめんって!」
シーツを手繰り寄せて深く顔を埋める。よく覚えている。だって、急にそんなこと聞いてきたから……
「一年かけてゆっくり、ようやく普通にしゃべってくれるようになった頃。自分自身のこともようやく聞かなくても話すようになってきて。俺自信あったんだよなぁ。俺には心を開いてくれてるって」
自分自身のこと。家族のことを話したりしたことを差しているのだと思う。身体を横向きに起こした堤さんが、ベッドに頬杖をついてじっとこちらを見下ろす。
「小さな表情や感情の変化にも気が付くようになった。意外と分かりやすいなと思った。実希子も、俺に惚れてるんだろうなって」
「「も」って……」
堤さんの指が頬に触れて照れくささに目を逸らした。
「俺はたぶん、ずっと好きだったよ。いつからかとかもう分かんないくらい前から。生意気なおまえを初めて見た時かもしれないし、泣いてる弱い一面を見ちゃった時かもしれないし」
「……嘘だ。特別な態度は全然感じなかった」
今思えば、密かに憧れてきた人が急に近い存在になって、それだけで満足して、自分には十分すぎることだと思っていたから堤さんと恋愛関係になるとかそんな大それたこと、夢に見ることさえしなかった。
素がどんな人かってこともあまり知らなかったから、自分に接する態度のすべてが新鮮で、たとえ好意を持った態度で接してくれていたとしても気づくわけがなかった。
「やっぱりなー。俺、あんなにも自分からアプローチしたの生まれて初めてだったんだけど。でも全然気づかないし、むしろ逃げるし、素っ気ないし。やっと努力が実を結んで俺のことを意識するようになったって確信して、いつモノにしてやろうかと思っていた時に」
「……」
「キョウヘイ君」
「だからそれは……その」
「突如現れた男の存在に、嫉妬したよ。おまえ男っ気全くなかったから余計に重くのしかかってきた」
堤さんの一言一言が、なんだか信じられない。アプローチされていたなんて。嫉妬させていたなんて。
……想われていたなんて。
「酔っぱらったおまえを家まで送り届けてさ。このまま何もせず帰ることなんてできないと思った」
「……」
「おまえベロベロに酔ってたし、何か一つ痕でも残して関係を持ったと勘違いさせて意識させることくらいできないかって卑怯なことばかりを考えていた」
「……勘違いどころか」
「本気でやってやろうなんて思ってなかったよ。でもキスしたら止まらなくなって、おまえもやけに積極的……」
「ヒトのせいにしないでくれるかな? ……覚えてないんだから」
「ほんとに覚えてない?」
「……途中、からは」
「意識があるのは分かってた。だから余計に止められなくなった。拒否しないんだ、嫌がらないんだ。やっぱり脈、あるのか? って」
堤さんは身体を仰向けに倒して天井を見上げた。
「確認も含めてすぐにちゃんと話をしようと思ったけど、別の男の存在が邪魔して、本音で迫って実希子に拒否されたらと思うと出来なかった。仕事も忙しかったし、そっちに逃げて、身体だけの寂しい繋がりでも、繋ぎ止めておけるのならしばらくこのままでもいいと思った。不完全な形でも、長年追い求めてきた女をやっとこの手に抱くことが出来たんだ。でも、やっぱりそれだけじゃ満足できなくて。どうしたらおまえの全部を俺のものに出来るかって最近はずっと考えてた」
胸の奥がジンジンと熱い。
今の感情を言葉で表すのなら、素直に嬉しいという気持ちと……
「ずいぶんと、遠回りしちゃったんだ」
どうしてもっと早くに自分の気持ちに素直になれなかったのだと言う後悔。堤さんが言わないなら私が一言好きだと言えていたら今とは全く違った今日があったのかな。
でもその後悔も、今日と言うこの日を、今までの日々を帳消しにするような甘く胸がときめくひと時に変えられればすぐに消えてしまうはず。
「人と打ち解けるのが苦手だっていうのはあるけど。本当はあそこまで酷くはないよ。……相手があなただったから。だから毎日緊張してうまく話せなかった」
彼の気持ちは分かった。あとは私次第。
私は身体を起こして、仰向けに横になっている堤さんの顔を覗き込むようにして身を寄せた。
「気持ちを押し殺して分かんなくなってた時期もあったけど、私の方がずっと好きだったんだから。こっちだっていつからかもう分からないくらい前から、好きだったんだから」
こちらに向けられるひたむきな視線。その目に見つめられるだけで胸が高鳴る。懐かしいこの気持ち。
「反則。そんな可愛いこと言われたら、帰れって言えねーじゃん」
「……帰らすつもりなの」
ふっと吹き出す気配と同時に後頭部に回った手に引き寄せられて、耳元に「嘘だよ」といじわるっぽく言う声が響く。
そしてぎゅっと頭ごと包むようにして抱きしめられる。
「帰さないし、朝まで離す気ないけど」
自分の一生の中で、こんなにも胸がときめく甘いひと時が訪れる瞬間を想像したことがあっただろうか。
唇に堤さんの指が触れ、触れられるだけで甘いざわめきなようなものが自分の中で生まれる。
「口、開いて」
甘い誘惑に、彼の言う通りに口を開けば繰り返される深いキスに気が遠くなる。
キスをしながら堤さんの手が私の身体に触れる部分が熱い。
「もっと……っ、触って……」
感情まで熱に融けて夢をみているような気分。無意識に口から出た言葉はわたしが甘い熱に酔っている証拠。
甘いものは大嫌いだし、甘い言葉も、甘いひと時も、いざ自分がその中に放り込まれたら胸やけをおこすか戸惑うかのどちらかと思ったのに……クセになりそう。