シュガーレス
第15話 恋人
三月に入っても寒い日は続き、防寒具の手離せない日が続いている。
それでもすっきりと晴れた日の昼間には、冬とは違う爽やかな陽の光と穏やかな風を感じることが出来る。春はすぐそこまで来ている。
「へぇ。来月とうとうお別れなんだ」
変わらず私はあの会社近くの喫茶店へ通っている。
一瞬仁科さんとの仲を疑われたりしたし、一応気を遣って通う頻度は減らし彼と会話をする機会も減ったけど顔を合わせば変わらず向かい合って会話を交わす仲。
彼は私の初恋の人だった。でもその事実が分かってからも初恋の人、菊池君と過ごしている感じよりも、この喫茶店で出会った一風変わった男性、仁科さん。その方がしっくりとくる。
やっぱり、離れていた時間があまりにも長すぎたようだ。
「ついて行くんだっけ?」
「いや……」
つい先日、企画案の商品化採用の発表があった。
最終選考まで残ったものの、商品化に至るまでの企画案は今回は該当なし。あと一歩のところで目標は達成できなかった。
勝ち残ることを条件にニューヨーク支社への異動を約束していた堤さん。今回は惜しくも条件を満たすことはできなかったけど、努力とこの先の期待も込めて上の人の了承を得て春からの転勤が決まった。
「もし仮に採用が決まってたら、私も一応評価されるべき働きをしたことになるし、上に申し出ることくらいは出来たんだろうけど……結局、ダメだったしね。仮に決まってたとしても女の私が海外への異動は難しかったと思うよ」
「彼はなんて言ってるの?」
「さぁ?」
「さぁって。一緒に行こうとか言われてなかったっけ?」
「知らない。何考えてるか分かんないし」
無意味に何も入れていないコーヒーをティースプーンでくるくるとかき混ぜる。
ニューヨークに一緒に来いとはたしかに言われた。でも言われたのはすれ違いまっただ中のあの一度きり。それも採用が決まること前提の。
あの日以来この話が私たちの間で出ることもなかったし、結果が出てからも何も話していない。ここのとこ忙しくてろくに会う時間も取れていないことも原因にはなっているけど。
でも、このまま何も言わないつもりなのかな。このまま、海外へ行ってしまうつもりなのだろうか。日々、堤さんへの不満は膨らむばかりだ。
「なんかさ、福田さんたちって。根本的に会話が少なすぎるよね。話せばすぐに解決するようなことを互いに口ベタなのか黙って相手の出方うかがってるだけで」
「……言い返せない」
「このままじゃ、またとんでもないすれ違いを起こしちゃうんじゃ?」
「それはもう、大丈夫でしょ……」
「どうかな~?」
仁科さんはストローをくわえながらクスクスと肩を揺らしている。
「私は、もう……」
「え?」
「いや。意志は固まっていると言うか……あとは向こうの出方次第と言うか……」
「ほら、待ってるだけだ」
「もう、うるさいなっ」
子供っぽくスネる自分が気持ち悪くてため息と同時に吹き出す。お互いに声を大にして笑うことはしない。クスクスと肩を揺らす程度。出会ったころからずっとこんな淡々とした雰囲気だけど、私はとても心地よく感じる。……もしかして昔もこんなだった? 懐かしいのかな? もう、よく思い出せないけど。
「あっ」
小さな呟く声に顔を上げると、仁科さんが窓の外に目を向けていた。窓の向こうで若い女性がこちらをじっと見ている。急にこちらに向かって深く頭を下げ、自分は知らない人のため仁科さんを見ると彼はヒラヒラと手を振っていた。仁科さんの知り合い?
「知り合い?」
「うん。今年に入ったくらいからよく話すようになった会社の女の子」
「でもたしか。若い女の子いないって」
「僕の部署にはね」
仁科さんは空になったグラスをテーブルに置くと「さ、僕はそろそろ行こうかな」と言って立ち上がった。
「ちょっと待ってよ。あの彼女の説明は?」
「うん。だから、最近仲がいい女の子」
「会話するだけの仲? 進展があったら報告よろしく」
私ばかりが自分のことを告白しているなんて不公平よね。仁科さんは瞳を伏せ口元に笑みを浮かべるとじっと私を見下ろした。
「福田さんとはあと何回会えるのかな」
「え……?」
「会えるうちに、いい報告ができればいいけどね」
そう言い残し仁科さんは「じゃあ」と言って去って行った。
去って行く仁科さんの背中を見つめながら思う。彼には、私の思いも考えもすべて、お見通しのようだ。
なんだかそれが、とても嬉しかった。
それでもすっきりと晴れた日の昼間には、冬とは違う爽やかな陽の光と穏やかな風を感じることが出来る。春はすぐそこまで来ている。
「へぇ。来月とうとうお別れなんだ」
変わらず私はあの会社近くの喫茶店へ通っている。
一瞬仁科さんとの仲を疑われたりしたし、一応気を遣って通う頻度は減らし彼と会話をする機会も減ったけど顔を合わせば変わらず向かい合って会話を交わす仲。
彼は私の初恋の人だった。でもその事実が分かってからも初恋の人、菊池君と過ごしている感じよりも、この喫茶店で出会った一風変わった男性、仁科さん。その方がしっくりとくる。
やっぱり、離れていた時間があまりにも長すぎたようだ。
「ついて行くんだっけ?」
「いや……」
つい先日、企画案の商品化採用の発表があった。
最終選考まで残ったものの、商品化に至るまでの企画案は今回は該当なし。あと一歩のところで目標は達成できなかった。
勝ち残ることを条件にニューヨーク支社への異動を約束していた堤さん。今回は惜しくも条件を満たすことはできなかったけど、努力とこの先の期待も込めて上の人の了承を得て春からの転勤が決まった。
「もし仮に採用が決まってたら、私も一応評価されるべき働きをしたことになるし、上に申し出ることくらいは出来たんだろうけど……結局、ダメだったしね。仮に決まってたとしても女の私が海外への異動は難しかったと思うよ」
「彼はなんて言ってるの?」
「さぁ?」
「さぁって。一緒に行こうとか言われてなかったっけ?」
「知らない。何考えてるか分かんないし」
無意味に何も入れていないコーヒーをティースプーンでくるくるとかき混ぜる。
ニューヨークに一緒に来いとはたしかに言われた。でも言われたのはすれ違いまっただ中のあの一度きり。それも採用が決まること前提の。
あの日以来この話が私たちの間で出ることもなかったし、結果が出てからも何も話していない。ここのとこ忙しくてろくに会う時間も取れていないことも原因にはなっているけど。
でも、このまま何も言わないつもりなのかな。このまま、海外へ行ってしまうつもりなのだろうか。日々、堤さんへの不満は膨らむばかりだ。
「なんかさ、福田さんたちって。根本的に会話が少なすぎるよね。話せばすぐに解決するようなことを互いに口ベタなのか黙って相手の出方うかがってるだけで」
「……言い返せない」
「このままじゃ、またとんでもないすれ違いを起こしちゃうんじゃ?」
「それはもう、大丈夫でしょ……」
「どうかな~?」
仁科さんはストローをくわえながらクスクスと肩を揺らしている。
「私は、もう……」
「え?」
「いや。意志は固まっていると言うか……あとは向こうの出方次第と言うか……」
「ほら、待ってるだけだ」
「もう、うるさいなっ」
子供っぽくスネる自分が気持ち悪くてため息と同時に吹き出す。お互いに声を大にして笑うことはしない。クスクスと肩を揺らす程度。出会ったころからずっとこんな淡々とした雰囲気だけど、私はとても心地よく感じる。……もしかして昔もこんなだった? 懐かしいのかな? もう、よく思い出せないけど。
「あっ」
小さな呟く声に顔を上げると、仁科さんが窓の外に目を向けていた。窓の向こうで若い女性がこちらをじっと見ている。急にこちらに向かって深く頭を下げ、自分は知らない人のため仁科さんを見ると彼はヒラヒラと手を振っていた。仁科さんの知り合い?
「知り合い?」
「うん。今年に入ったくらいからよく話すようになった会社の女の子」
「でもたしか。若い女の子いないって」
「僕の部署にはね」
仁科さんは空になったグラスをテーブルに置くと「さ、僕はそろそろ行こうかな」と言って立ち上がった。
「ちょっと待ってよ。あの彼女の説明は?」
「うん。だから、最近仲がいい女の子」
「会話するだけの仲? 進展があったら報告よろしく」
私ばかりが自分のことを告白しているなんて不公平よね。仁科さんは瞳を伏せ口元に笑みを浮かべるとじっと私を見下ろした。
「福田さんとはあと何回会えるのかな」
「え……?」
「会えるうちに、いい報告ができればいいけどね」
そう言い残し仁科さんは「じゃあ」と言って去って行った。
去って行く仁科さんの背中を見つめながら思う。彼には、私の思いも考えもすべて、お見通しのようだ。
なんだかそれが、とても嬉しかった。