【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
カヤはミナトの口から昔の話を聞いた事が無かった。

ただ、ナツナと同じように両親が居ない孤児だと言う事だけ、彼女から教えてもらった事はあったが。

(聴いてみてもいいのかな……?)

気になると言えば気になる。
カヤはあまりミナト自身の事について知らなかった。

カヤが迷っていると、ミナトが「あのさ」と口を開いた。

「今日一日、稽古してみてどうだった?」

「……絶望した」

「だろうな。正直、女のお前がそれなりの形になるには、死ぬほど努力する必要がある」

ミナトは真剣な眼でカヤを見下ろしていた。
それに充てられ、カヤもまた背筋を伸ばしてその言葉に頷く。

「無理だと思ったら止めておけ。でもお前に続ける意志があるなら、俺はとことん付き合う」

「どうする?」と、そう問うたミナトの後ろで、真っ赤な夕日が燃えていた。


(嗚呼、明日もきっと良い天気だ)

そんな事を予感させる強烈な赤は、カヤの心をも沸々と燃え上がらせる。

――――この夕日を、あの人もどこかで見ているかもしれない。

今日も明日も、底の知れない泥濘で足掻く翠が。



「止めない。続けさせて下さい」

ぐっと奥歯を噛みしめ、カヤはミナトを真っすぐに見つめた。

「足掻けるだけ足掻くって決めたの」

あの日、あの湖で、翠の瞳に誓った。

情けないほど弱っちい自分だが、大丈夫だ。頑張れる。

遠くに離れていようが、翠が同じ空の下で息をしていると言う事実がある。

それだけで、何処までも走り続けられる気がした。


きっぱりと言い切ったカヤに、ミナトは笑顔を見せた。

「よし、良く言った。明日から厳しく行くぞ」

「え……?それはつまり、今日のは厳しい内に入らないって事でしょうか……」

「はあ?優しさに満ち溢れてただろうが」

「……優しさの基準ぶっ飛んでるね」

「うるせえ。文句言うな」

軽口を叩き合う二人の影を、夕日がどこまでも長く伸ばしていた。


――――この日から、カヤの稽古は本格的に始まったのだった。









「……あのねえ、カヤ」

目の前のユタは、怒ったように眼を細めている。

「ご、ごめんなさい……毎日毎日、申し訳ない……」

カヤは、可能な限り体を萎縮させて謝罪した。

「ちょっとミナト!あんたの指導ってば、どうなってるのよ!日に日にカヤが傷だらけになっていくじゃない!」

ユタが噛み付くようにミナトに言った。

とっぷりと日が暮れた、とある夏の夜。
薬草やら包帯やら一式を携えカヤの家まで来てくれたユタは、今日もぷりぷりと怒っていた。


しかし怒りを向けられた当の本人は、ふんと鼻を鳴らすばかり。

「言っとくけどな、こいつが勝手にずっこけるだけだぞ」

「……あんた、わざと足引っかけたりしていないでしょうね」

「阿呆なこと言うなや」

「本当かしらね」と呟きながら、ユタは血の滲むカヤの膝に薬草を塗布してくれる。

毎日のように怪我が増えていくカヤの治療をしに、ユタはお勤め終わりに家に寄ってくれるようになっていた。
< 243 / 637 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop