【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
(痩せた……)

久しぶりに翠を見て、カヤは一番にそう思った。


柔らかく眼尻を下げるその笑い方は変わっていないのに、翠の顔には少し陰が掛かっていた。

表情には疲れが溜まっており、衣から見える首元は以前よりも細っそりとしている。

ぞっとした。
そのまま翠の白い肌が、背後の暗闇に溶けていってしまいそうで。



「すまないな、このように時分に」

そう声を掛けられ、立ち尽くしていたカヤは慌てて首を横に振った。

「と、とんでもございません。あの、手綱を頂きます」

「ああ。頼むよ」

手綱を受け取ろうと、カヤは腕を差し出した。
翠もまた、その掌をカヤに近づける。

互いの皮膚と皮膚が、ふ、と触れ合った瞬間――――どっくん、とカヤの心臓が大きく跳ね上がった。

「っ、」

反射的に腕を引いてしまった。


「カヤ……?」

いきなり手を引っ込めたカヤに、翠が首を傾げる。

(え……?)

カヤは、かつて無いような飛び跳ね方をした自分の心臓に動揺していた。

(……何これ)

混乱すると同時、唐突に息が苦しくなる。

更に、追い打ちを掛けるように身体中がとんでもなく熱くなり始めた。

心臓が、壊れそうだ。

今まで陥った事のない謎の症状に、カヤは焦り、酷く恐ろしくなった。


(なに、これ……なにこれっ……)

思わず心臓の真上のぎゅっと握ると、カヤの様子があまりにも変だったのか、翠が心配そうに顔を覗き込んできた。

「カヤ?具合が悪いのか?」

「ひっ!」

いきなり視界に現れた翠の顔に驚き、カヤは思いっきり仰け反った。

「な、なんでもございません!」

「何でもないようには見えないが……」

「いえ、大丈夫です!お気になさらず!」

掌で翠を制しながら、カヤは素早く深呼吸を繰り返す。

騒ぐ心臓を無理やりになだめると、再び翠に手を差し出した。

「も、申し訳ありません……あの、手綱を頂きます」

「ああ……」

翠は未だに心配そうな表情をしながらも、カヤに手綱を渡す。

今度こそしっかりそれを受け取り、そして翠の右手が離れていくのを無意識に眼で追ったカヤは、ギョッとした。


――――翠の右手の包帯に、かなりの血が滲んでいたのだ。


「翠様……まさか、その手で手綱を握られたのですか……?」

痛々しい色に染まっている右手を食い入るように見つめていると、翠が一瞬で右手を隠した。

「いや、もうほとんど治っているよ。少し傷口が開いただけだ」

薄く微笑み、けれど少し早口に言った翠の眉は、下がっていた。

外見も中身も一切似ていないカヤと翠だが、嘘を付く時の、その癖は同じだった。


「少し開いた……?ほとんど治っているならば、そんなに血は出ないのではありませんか?」

言及するように詰め寄るが、翠はカヤから視線を逸らし黙っている。

「翠様、お願いですから、ご自分の身体を少しは労わって下さい」

懇願するように言うと、そっぽを向いていた翠の視線が、ちらりとこちらを向いた。

「言葉を返すようだが……カヤこそ、その傷はどうした?」

僅かに低い声。
厳しく細められた眼が、カヤの頬に走っているであろう傷をなぞっていた。
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