【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
「人の事を言えないではないか。そんなに酷い傷作っておいて……」

どこか怒った様な声と共に、綺麗な指先が迷いなく向かってくる。


その瞬間、頭の芯が強烈に痺れ、真っ白になった。

(駄目だ)

やめてくれ、触れないでくれ。
そうでなければ、今度こそ心臓が破れ散って、死んでしまう。


恐ろしくなったカヤは、きっと慈しもうとしてくれていた、その指先から――――後ずさって逃げた。


あ、と思った時にはもう遅かった。

翠はカヤに指を伸ばしたまま固まっていて、カヤもまた半歩後退した格好のまま固まっていた。

目の前の翠が、不自然なほど無表情になった。
何一つ言葉も発さない。

そしてカヤも、自分の失礼すぎる行動に衝撃を受けて何も言えなかった。


地獄のような沈黙が二人の間に流れた後、

「っひゃあ!」

脇にくすぐったさを感じ、カヤは飛び上がった。

手綱を握っていた馬が、カヤの脇の間に鼻面を突っ込んできたのだ。


「ど、どうしたのっ?」

ぐいぐいと鼻を押し付けてくる馬をなだめるように撫でると、その肌にかなりの汗を掻いている事に気が付いた。

「あ……ごめんごめん、いっぱい走ったんだもんね。帰ってお水飲もうね」

きっと喉が乾いていたのだろう。
どうやら何時までも帰してくれそうにないカヤを急かしたようだった。

「翠様。この子を休ませますので、そろそろ失礼します」

馬を撫でつつ、カヤは頭を下げた。

正直助かった。この子が沈黙を破ってくれなければ、どうなっていた事か。

「ああ……」

頷いた翠の声が不自然に固い事に気が付いていたが、一刻も早くその場を去りたかったカヤは、そそくさと鐙に足を掛けた。

勢い付けて馬の背に跨り手綱を握り直した時、翠が驚いたような声を上げた。

「……馬、乗れるようになったのか?」

「え?あ、はい……」

馬上から翠に話すのは無礼な気がして、カヤは背筋を丸めながら、おずおずと頷いた。

馬達の世話をする合間にミナトが乗り方を教えてくれたため、今では駆け足程度ならカヤ一人でも出来るようになっていた。


「そうか」と小さく呟いた翠は、わざとらしく目尻を下げて、口角を持ち上げた。

「順調そうだな。新しい生活は」

カヤは、その笑顔に違和感を感じてたまらなかった。

(なんだ、その下手くそな笑顔)

久しぶりに会えたと言うのに。
そんな笑顔なら、向けられない方がましだった。


「はい、順調です。これも全て翠様のお陰でございます」

そんな事を思いながら笑ったせいだろうか。
翠の出来損ないの笑顔が、面白い程に移ってしまった。

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