御曹司は偽婚約者を独占したい
「──ありがとうございました」
金曜日のパレットで迎えた、午後七時。
店内に残っていた最後のお客様を送り出した私は、カウンターに戻るとひとり、息を吐いた。
ひと気のない店内にはジャズピアノのBGMだけが流れていて、目を閉じたら時間を忘れてしまいそうになる。
けれど、現実では確実に時間は流れているのだ。
瞼を開けた私は静かに、今日も空席になっている、〝彼の場所〟を眺めた。
「……今日も、来なかったな」
つぶやきは、誰に届くこともなく静寂の中に溶けていく。
近衛さんに間に合わせのエンゲージリングを渡されそうになってから、早二週間。
あれ以来、近衛さんがパレットに訪れることはなかった。
もちろん連絡も来ていないし、こちらから彼に連絡をすることもない。
当然といえば、当然だろう。
あんなふうに迷惑をかけて怒らせたら、連絡がくるはずもないし、ましてやこちらから連絡なんてできるはずもなかった。