御曹司は偽婚約者を独占したい
「ハァ……。そうか、すまない。俺が一方的に伝わっていると勘違いしていたみたいだ」
そう言うと、近衛さんは立ち上がり、私が抱えていたトレーを奪った。
「あの日、俺は美咲の話を聞いて、どうして自分がこの店に足を運ばずにはいられなかったのか、気がついたんだ」
コトン、と小さな音を立てて、テーブル上に置かれたトレーは、天井の灯りを真ん中に写して、僅かに光った。
「ここに来て、美咲が淹れてくれたコーヒーを飲むと、不思議と肩の力を抜くことができた。……そして帰り際、君に、〝いつもお仕事お疲れ様です〟と、言われることが心地よかった。そんなふうに思えたのもすべて、君がいつでも、〝たった一杯〟を大切にしていたからなのだと思う」
──誰かの身体と心を温めることのできる……そんな一杯を淹れられる、バリスタになりたい。
いつだってそう願い、真摯に向き合ってきた。
今は、誰にも届かなくても……。
いつか、いつの日か、誰かに届きますようにと願いながら、丁寧につくり続けた。