御曹司は偽婚約者を独占したい
『何か助けていただいたお礼をさせてもらえませんか?』
彼女をつけ回していたらしい男から、彼女を助けたときに言われた言葉だ。
あのとき、柄にもなくあの男に対して腹が立って仕方がなかったのは──。いつも笑っている彼女が、ひどく傷つき、怯えた涙を浮かべていたからだろう。
『今度は君が、俺の婚約者を演じてくれ』
昔から、煩わしいことは嫌いだった。
だから、旗から見て煩わしいことしかない恋愛というものは、俺には一生、縁のないものだと思っていた。
ひとりの女性に恋い焦がれたり、固執するようなことはマイナスでしかない。
あのときまではそう思っていたのに、彼女を前にしたら、言葉は唇から溢れるように滑り落ちていた。
『パーティの席で、君に俺の婚約者を演じてほしいんだ』
もちろん、それまでに周囲から、結婚を勧められたり、見合いの世話までされそうになったことを鬱陶しいと考えていたことも本当だ。
けれど、それを振り払うだけなら相手は誰でも良かったのに、俺は敢えて彼女を選んだ。
もっと後腐れのない、それこそ場馴れしていて、割り切った上で引き受けてくれる女性に頼むこともできただろう。
『君にしかできないことだ』
それでも俺は、彼女を選んだ。
彼女に、自分のフィアンセを演じてほしかったんだ。
それは自分が、どうして彼女の淹れたコーヒーに惹かれるのか……。
コーヒーを通して、彼女を知りたいと思い始めている自分に気がついて、その感情の答えを知りたかったからなのだと思っていた。