御曹司は偽婚約者を独占したい
「知花さん?」
「え……あっ、すみません。あ、明日ですよね。大丈夫です。十時から閉店まで入る感じでいいですか?」
「ほんと? ありがとう、助かるよ〜。明日は土曜日だから……例のあのお客様は来ないとは思うけど……」
けれど次の瞬間、窓際の彼を想い高鳴っていた鼓動は、不穏なものへと変化した。
もしかしたらマスターは何かを考え込む私を見て、私が──〝例のあのお客様〟のせいで出勤を躊躇していると思ったのかもしれない。
「……お気遣い、ありがとうございます」
曖昧に笑うとマスターは困ったように眉尻を下げた。
〝例のあのお客様〟とは、三ヶ月ほど前からパレットに訪れるようになった、困ったお客様のことだ。
いつもスーツ姿の〝窓際の彼〟とは対象的に、黒いパーカーとブラックのジーンズというラフな出で立ちで現れるお客様。
スタッフの間ではその出で立ちのせいで、〝クロスケ〟という少し間抜けなあだ名をつけられていた。
年齢は三十代前半くらいだろうか……。
いつもボサボサの髪と中肉中背の身体つきで、携帯式のゲーム機を持ち歩いているので職業は不詳だ。
クロスケさんは平日の昼過ぎに訪れると決まってオレンジジュースを頼み、十七時には帰っていった。
そして来店中は、仕事中の私を何度も何度も呼びつけるのだ。