青いチェリーは熟れることを知らない①
田舎で生きてきたちえりでさえ仕事と人間関係が切り離せないことなど痛いほどわかっている。社会を支えているのは感情のある血の通った人間ひとりひとりなのだ。
「覚悟はしてたけど……都会って寂しい」
ここには幼馴染でなんでも話せた真琴はいない。電話で声を聞くことはできても顔を合わせて悩みを打ち明け、大きな悩みさえも些細なことだと笑い飛ばして心に寄り添ってくれた彼女がとても恋しく感じる。
(……真琴に会いたい……)
ちえりはかつてない心細さに陥っていた。ここには頼りになる瑞貴がいて、会社には面白い同僚もいる。しかし、友と呼べる親友はそんな簡単に誕生するものではない。離れてその存在の有難みが身に染みて今まで置かれていた幸せな日々に戻りたいとさえ思ってしまう。
(でも……戻ったらそこに瑞貴センパイはいない。瑞貴センパイだってひとりで頑張ってきて今があるんだから私だって頑張らないと――)
チェリーのぬくもりを感じながら目を閉じていると、心は満たされずとも腹が満たされたちえりは鳥居のベッドに寄りかかりながら転寝を始めてしまった。
するとその頃――
「……」
(……遅いな。う〇こか?)
もはやちえりを女として認識していない鳥居の脳内は彼女に対しての禁止ワードなど存在していない。
しきりにリビングのドアへ目をやっている鳥居に気づいた瑞貴が声を掛ける。
「ちえり遅いな。俺、ちょっと見てくる」
まとめたゴミ袋を置いた瑞貴がリビングを出ようとしたとき、鳥居が先立ってドアの前に立った。
「一応俺んちなんで。俺が探してきます」
「……そっか、そうだったな。悪い」
なにか言いたげな瑞貴をその場へ残し、颯爽とリビングを出たものの廊下にちえりの姿は見当たらない。
真っ先に玄関へ足を向けた鳥居はちえりのパンプスがあることを確認すると、ぐるりと辺りを見回した。
「……やっぱ、う〇こか……」
勝手にそう決めつけた鳥居がトイレをノックするも返事はない。
(寝てる可能性もあるよな)
酒が入っているわけでもないため、その可能性は低いかもしれない。
だが、またもそう決めつけた鳥居は返事のないトイレのドアを勢いよく開いた。
「チェリーサン、そんなところで寝ないでくだ……」
と、イケメンの口から言葉が先に突いて出る。
この言葉をちえりが聞いたら怒りそうだが、そのころころ変わる表情が面白くて。憎まれ口を叩いていると自分でわかっていても、やめられないのは"からかい甲斐のあるやつ"としかまだ思っていない鳥居。
返ってくる言葉と表情を期待していたが、そこにちえりの姿はない。
「……どこ行った?」
そうなれば他の部屋を探すしかないが――
(犬並みに鼻が利くやつだな)
ひとつ心当たりがあるように、どことなく嬉しそうに口角を上げた自分に自分が驚く。
トイレのドアを閉めると、鳥居は寝室を目指して迷うことなく歩いていく。
そしてそのドアを開けようとして……ドアノブから手を離した。
数十秒後に戻ってきた鳥居は今度こそちえりの姿を見つけ、自分の存在に気づいて顔をあげたチェリーを優しく撫でると、ちえりが手にしていたささみのパッケージを見てさらに驚いた。
(……さっきコンビニに寄ったのはこれが理由か? よく見てるな)
ちえりが愛犬家だからかもしれないが、小さなことをよく見ている彼女にほんのちょっとだけ関心してしまう。
「ほんとどこでも寝れるんだな。ここ俺の寝室ですよ? チェリーサン……」
警戒心のないちえりがすこし心配になったが、考える間もなく反射的に手にしていた彼女のパンプスをベッド下へ隠すと、自分のベッドから引っ張った薄手の毛布でちえりをぐるぐる巻きにした鳥居は静かに部屋を出た。
――ガチャッ
相変わらず重い空気のままそれぞれの役目をこなしている三人を見渡していると、鳥居が戻ってきたことに気づいた瑞貴がいち早く近づいてきた。
「……ちえりは?」
ふたりが揃って戻って来ると思い込んでいた瑞貴は訝し気に首を傾げる。
「コンビニにでも出かけたみたいですね。そのうち戻って来るんじゃないですか」
「…………」
恐らく彼女をひとりにしたことを強く後悔している瑞貴は唇を引き結んで視線を下げた。
こんなやり取りはもう二度目だと鳥居は思い返す。
ちえりがすぐ近くに居たにも関わず、瑞貴の電話を取り次がずふたりを意図的に遠ざけたのはつい先日のことだ。
(……何やってんだ俺……)
明らかに好き合っているけれど、まだ恋人未満なふたりを決して妬んでいるわけではない。
(俺はただ……心の声が駄々洩れで、不器用な生き方をしてる珍獣が珍しいだけだ)
鳥居はそう自分に言い聞かせながら、瑞貴が大人しく自分の部屋に引き下がるのを待っている。
……しかし、瑞貴の次の言葉は鳥居の期待を大きく裏切るものだった。
「ちえりを迎えに行ってくる」
「覚悟はしてたけど……都会って寂しい」
ここには幼馴染でなんでも話せた真琴はいない。電話で声を聞くことはできても顔を合わせて悩みを打ち明け、大きな悩みさえも些細なことだと笑い飛ばして心に寄り添ってくれた彼女がとても恋しく感じる。
(……真琴に会いたい……)
ちえりはかつてない心細さに陥っていた。ここには頼りになる瑞貴がいて、会社には面白い同僚もいる。しかし、友と呼べる親友はそんな簡単に誕生するものではない。離れてその存在の有難みが身に染みて今まで置かれていた幸せな日々に戻りたいとさえ思ってしまう。
(でも……戻ったらそこに瑞貴センパイはいない。瑞貴センパイだってひとりで頑張ってきて今があるんだから私だって頑張らないと――)
チェリーのぬくもりを感じながら目を閉じていると、心は満たされずとも腹が満たされたちえりは鳥居のベッドに寄りかかりながら転寝を始めてしまった。
するとその頃――
「……」
(……遅いな。う〇こか?)
もはやちえりを女として認識していない鳥居の脳内は彼女に対しての禁止ワードなど存在していない。
しきりにリビングのドアへ目をやっている鳥居に気づいた瑞貴が声を掛ける。
「ちえり遅いな。俺、ちょっと見てくる」
まとめたゴミ袋を置いた瑞貴がリビングを出ようとしたとき、鳥居が先立ってドアの前に立った。
「一応俺んちなんで。俺が探してきます」
「……そっか、そうだったな。悪い」
なにか言いたげな瑞貴をその場へ残し、颯爽とリビングを出たものの廊下にちえりの姿は見当たらない。
真っ先に玄関へ足を向けた鳥居はちえりのパンプスがあることを確認すると、ぐるりと辺りを見回した。
「……やっぱ、う〇こか……」
勝手にそう決めつけた鳥居がトイレをノックするも返事はない。
(寝てる可能性もあるよな)
酒が入っているわけでもないため、その可能性は低いかもしれない。
だが、またもそう決めつけた鳥居は返事のないトイレのドアを勢いよく開いた。
「チェリーサン、そんなところで寝ないでくだ……」
と、イケメンの口から言葉が先に突いて出る。
この言葉をちえりが聞いたら怒りそうだが、そのころころ変わる表情が面白くて。憎まれ口を叩いていると自分でわかっていても、やめられないのは"からかい甲斐のあるやつ"としかまだ思っていない鳥居。
返ってくる言葉と表情を期待していたが、そこにちえりの姿はない。
「……どこ行った?」
そうなれば他の部屋を探すしかないが――
(犬並みに鼻が利くやつだな)
ひとつ心当たりがあるように、どことなく嬉しそうに口角を上げた自分に自分が驚く。
トイレのドアを閉めると、鳥居は寝室を目指して迷うことなく歩いていく。
そしてそのドアを開けようとして……ドアノブから手を離した。
数十秒後に戻ってきた鳥居は今度こそちえりの姿を見つけ、自分の存在に気づいて顔をあげたチェリーを優しく撫でると、ちえりが手にしていたささみのパッケージを見てさらに驚いた。
(……さっきコンビニに寄ったのはこれが理由か? よく見てるな)
ちえりが愛犬家だからかもしれないが、小さなことをよく見ている彼女にほんのちょっとだけ関心してしまう。
「ほんとどこでも寝れるんだな。ここ俺の寝室ですよ? チェリーサン……」
警戒心のないちえりがすこし心配になったが、考える間もなく反射的に手にしていた彼女のパンプスをベッド下へ隠すと、自分のベッドから引っ張った薄手の毛布でちえりをぐるぐる巻きにした鳥居は静かに部屋を出た。
――ガチャッ
相変わらず重い空気のままそれぞれの役目をこなしている三人を見渡していると、鳥居が戻ってきたことに気づいた瑞貴がいち早く近づいてきた。
「……ちえりは?」
ふたりが揃って戻って来ると思い込んでいた瑞貴は訝し気に首を傾げる。
「コンビニにでも出かけたみたいですね。そのうち戻って来るんじゃないですか」
「…………」
恐らく彼女をひとりにしたことを強く後悔している瑞貴は唇を引き結んで視線を下げた。
こんなやり取りはもう二度目だと鳥居は思い返す。
ちえりがすぐ近くに居たにも関わず、瑞貴の電話を取り次がずふたりを意図的に遠ざけたのはつい先日のことだ。
(……何やってんだ俺……)
明らかに好き合っているけれど、まだ恋人未満なふたりを決して妬んでいるわけではない。
(俺はただ……心の声が駄々洩れで、不器用な生き方をしてる珍獣が珍しいだけだ)
鳥居はそう自分に言い聞かせながら、瑞貴が大人しく自分の部屋に引き下がるのを待っている。
……しかし、瑞貴の次の言葉は鳥居の期待を大きく裏切るものだった。
「ちえりを迎えに行ってくる」