青いチェリーは熟れることを知らない①
 炊き立てのご飯と焼きたてのしょうが焼きの皿をトレイへと載せると、香ばしいかおりが鼻先をくすぐり、空っぽの胃が待ってました! とばかりに受け入れ態勢を整える。
 程なくしてそれぞれ目当てのものが揃って四人掛けのテーブルへと移る。自然と瑞貴とちえりが向かい合い、ちえりの隣に佐藤が座り、瑞貴の隣には吉川が座った。

「桜田さんとランチなんて久しぶり~!」

「いつもは三浦さんと一緒にご飯いってるんですか?」

 歓喜の声を上げる佐藤と、三浦との仲を探ろうとする吉川。それぞれにどんな思惑があるかはわからないが、瑞貴のこととなればちえりの耳も大きくなってしまう。

(三浦さんって……たしか、えーっと……あのすごく綺麗な人、だっけ……?)

 この東京は日本のど真ん中であり、街にはおしゃれで綺麗な女性が溢れている。
さらにその中心に聳え立つシンボル的存在の大企業フェニックスは世界に羽ばたく超一流の会社であり、その会社を支える従業員たちはみな、それが当たり前とばかりに男性女性に関わらず才色兼備揃いだからつらい。
 そしてその頂点に君臨する極一部のパーフェクトウーマンのひとりが"三浦"らしいのだ。

「ん? 別に三浦と一緒ってわけじゃないけど……なんで?」

「だってすっごい噂立ってるんですよ!? 知らないんですか~!?」

 あっさりと答えた瑞貴に佐藤が食いつく。ここではっきりさせたいらしい彼女は、飲みこみかけのオムライスの米粒を吹き飛ばしそうな勢いで声をあげた。

「ちょっ……佐藤汚ねぇぞ」

 吉川が本気で嫌そうにおしぼりを広げてガードを試みている。
ふたりが絡むと打ち合わせをしていない漫才のようでヒヤヒヤするが、見ていて嫌味がないため、良い人たちなのだろうとは思う。

「噂ってなんの?」

 暴発寸前の佐藤にも構わず、しょうが焼きを口に運ぶ瑞貴。ちえりビジョンではすっかり西洋の王子様がフォアグラを頂いているようにしか映っていない。

(写真撮りたいっっ!!)

 思わずポケットのスマホを握りしめたが、耳はしっかりと瑞貴の声へと傾いている。

「だ~か~ら~! 付き合ってるんじゃないかって!!」

 痺れを切らした佐藤がスプーンでオムライスを突き刺した。柔らかな触感を通りこし、食器がガチャッと音をたてる。

「ないない。三浦とはそういうのじゃないから」

「……っ!」

 思わずホッとため息が出てしまうのを堪えたちえり。
 しかし、敵は三浦氏だけではないはずだ。現に佐藤七海も瑞貴に好意を寄せているらしいことはすでに把握しているため気が抜けない。

「じゃあやっぱり! 若葉ちゃんと付き合ってるんですか!?」

「ぶっ!!」

 KY(空気読めない)な吉川がしゃあしゃあと吐き捨てる。
その言葉よって先に暴発したのは佐藤七海ではなく、銜えていたしょうが焼きを口から噴き出したちえりだった。

 もの凄いスピードでちえりの口から飛び出した一枚の肉が瑞貴のしょうが焼きの上へ、ベタリと圧し掛かる。

「ぎゃぁああっ!! ごめんなさいセンパイッッ!!」

 佐藤がやらかしそうになった米粒発射よりもタチが悪い。いや、悪すぎる。

「…………」

 さすがの瑞貴も茫然とそれを見つめていたが――……

「これ俺が貰うから、ちえりにこっちやるよ」

 と、自分の手づかずの肉をこちらの皿に載せてくれた。口の中のキャベツがついたちえりの肉を返されるのだと思い込んでいた自分は、顔を真っ赤にしながら叫んでしまう。

「え、え、え、えーーーっっ!?」

 そして隣で"きゃあああっ!!"とスプーンを握りしめてはしゃぐ佐藤と"おぉおおおっ!!"と拍手を送る吉川。
 恐らく瑞貴のスマートな行動を素直に褒め称えているのだろうと思われるが(?)、些か度を越えているような気がする。

「え? なに? 返して欲しかった?」

 すでにちえりの発射した肉に食らいつく瑞貴が真顔で答える。

「べ、べつに……っ!? 瑞貴センパイがそれでいいのなら私は本望でででっっっ!!!」

「な? こいつ面白いだろ?」

「は、はいっ!!」

「とっても!!」

 笑いながら咀嚼する瑞貴に吉川と佐藤は首が取れそうなほどに激しく頷いている。

「……っ!?」

(それは瑞貴センパイの方ですからぁあああっっ!!)

 ドキドキと高鳴る胸に瑞貴の肉が喉を通らない。味噌汁をガブガブ飲み干すちえりに相変わらず王子スマイルで見つめる瑞貴。

「……モゴッ!!」

(あ、あれかな!? 私を真琴みたいに見てるとかーっ!!)

 落ち着きを取り戻すため、ふとそんなことを考えてみると――……

「…………」

 今度はガックリと項垂れたちえり。
 緩んだ口元から味噌汁が零れそうだ。

(そ、それはそれで……、嫌だな…………)

 自分で勝手に想像しておきながら一気にテンションが崩れ落ちる。

「……ちえり、もしかして腹の具合悪い? 歓迎会の日程改めるか?」

 箸をおいて立ち上がろうとした瑞貴に力なく答える。

「い、いえ……どちらかというと頭が、悪い……と言いますか……」

「……ん? 頭が悪いのか? いや、その表現は語弊があるな……」

 うーん、と考えてしまった瑞貴に笑みがこぼれる。

「あ、あはっ……色々と大したことないので大丈夫、です……っ!!」

(……再開できたからこそ、いまこの時があるっ!
瑞貴センパイとまたこんな会話ができるなんて思ってもみなかった。……ほんと、東京に出てきてよかったっ!!)

 離れていたときは言葉を交わすことも、瑞貴の言葉に一喜一憂することもできなかった。
 手の届かないところへいる人のことをどんなに想おうとも、傍で視線を絡ませることができなければ互いの距離は離れて行くばかりだということは、ちえりがよく知っている。

(……もっとセンパイを知りたい。どんなことに笑って、怒るのか――……)
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